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死ぬことについて


案外30歳くらいでぽっくり逝くもんかもしれない。

4日前の木曜日に発熱してから床に伏せている。
このところ風邪を引く頻度が高くて困る。
年明けから数えた3回はいずれも扁桃炎と診断されて、なかでも今回はひどい。

体温計を脇に挟む。少し経ってピピっとなる。
意識が朦朧とする中、見つめた液晶は39.9を示している。数字の意味を認識して気が滅入るとともに自分の身体の苦しみを説明された気がして、妙に納得してしまう。

苦痛に悶えながら、気絶するように眠ることを繰り返し、どうにかこうにかこうしてものを書けるようになるまでに至る。

幸いにもご近所付き合いの濃いアパートに住んでいるので、こうやって風邪に倒れると、ご飯だ飲み物だと世話を焼いてくれる人がいる。
本当にお世話になりっぱなしで、頭が上がらない。

ただ本当の意味で病気と戦うのは自分の身体だけで、僕は風邪をひいて部屋で1人うなされている時に他のどんな時より孤独を感じている気がする。

痛みに苦悶する気分と孤独感を少しでも和らげるために、毎回何か音をつける。
たいていラジオ・podcast・YouTubeあたりを適当に。
今回は千原J・小籔・フットの『ざっくりYouTube』を永遠に流してた。画面は見るとしんどいので、音だけ聴こえてる状態。

あまりに辛かったのか、脳みそに「死」の文字が浮かぶ。別に本当に死ぬと思っているわけではないのだろうけれど、ただなんとなく「死」が漂う。

このところの不調続きに心が弱ったのか、こんなことを考える。

案外30くらいでぽっくり逝くもんかもしれない

なんだかんだと流行病には大体かかるし、腸が弱いのでお腹は壊す。
日常は綱渡りのような状態で、健康でいる時も常に「週末コロンと寝込みませんように。来週も起き上がっていられますように」と願っている。

たまたま大病にかからずに済んでいるだけで、何かのタイミングで本当に死に振れかねないような病に転んでもそれはなんら不思議なことではない。

そうなったとて「やっぱりか」と思ってしまう気がする。悔しいとは思うけれど。

「死ぬのが嫌か?」と問われたならば、
答えは「まあ、うーん、せやな?」くらい。
積極的に死にたいと思うことはないけれど、かといって生に執着があるわけでもない。

幸いにも、みなさんをはじめ、いろいろな人・モノのおかげでけっこう楽しく生きれている。
これは本当に有り難いことだ。
ありがとうございます。

ただ死んで感情も何もかもが全て無になるなら、それはそれだなと思う。(ふわっと)

死んで悲しんでくれる人も多少はいるかもしれない。
ただまあ今ならまだそんなに迷惑もかけない気がする。
僕がいなきゃ人生が捻じ曲がってしまうほどに苦しい人はたぶんいない。

僕に息子や娘はいない。
生涯を共にすることを誓ったパートナーもいない。

職場には迷惑かけるかもしれないけれど、代わりはいるだろう。

お父さん・お母さんは十分に子離れが済んでいる。
きっと悲しんでくれると思うけれど、しばらく喪に服した後には各々の人生を生きてくれるだろう。

ほなまぁころっと死んでしまっても、そんときはそんときか。

ただ、死が少し身近になったからといって、何か生き方が変わるかといえばそんなことはない。

今日明日と変わらず生きるし、8年後くらいには喫茶店やれたらいいなとは以前と変わらず思う。

数年で死んでしまうかもしれないなと思う自分と同じくらい、あと80年生きるかもしれないなと思う自分もいる。

ただ今まで通りに生きる。

「死」に付随して、ひとつ前向きな考え方が降ってきた。ラッキー。

最近は楽しみごとが病気でおじゃんになることがとても多かった。
行きたかったライブに行けず、楽しみにしていたピクニックも中止。
とても大切な友達との約束の度に風邪を引きリスケを重ね、ついに会えないままに関東に引っ越してしまった。

毎回本当に悲しくて、申し訳なくて、布団の中で自分を呪う。

だけれど、ふいに楽しかった思い出が輝きはじめた。
「死」が身近になった影響かそうでないかは定かでないけれど、それらはとても尊いものとして輝きはじめた。

先週末は会いたい人に会えたし、とてもすてきな音楽も聴けた。先週は水曜までいい仕事できた。2月には東京に行ってイベントに参加できた。会いたかった人たちに会えて無事帰ってこられた。
身体を崩しがちな僕にとって、それは半分奇跡のようなもので、すごくすごく有り難いこと。

この有り難さを改めて認めることができた。

これから先も病気やなにかで、いろいろな楽しみがなくなることはあるだろう。残念ながら迷惑かけたりもしてしまう。
その度にやっぱり悲しいだろうし、「なぜ今?」と自分の身体を恨むこともあると思う。

憂う気持ちは仕方のないもの。自然なこと。
だけれど、それと同じくらい楽しい時間の尊さを抱き締めていたい。

その方がご機嫌で生きられそうだ。

目が覚めると喉に違和感。
身体に言われるがままに吐き出すと、悪の親玉のような血痰。

いつもこれが出るとだいぶん喉の痛みが和らいで、回復まであと少しという気がしているのだけれど、今回はまだまだ痛い。

ゼリー食べて、薬飲んで、寝よう。

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