見出し画像

ニューヨークってまだでかい馬おる?

友達「ニューヨークを旅行した時の記憶ってまだあるん?」
まえだ「12歳のときの思い出の割には覚えてる気がする」

こんな会話をしたのちに、当時のことを考え始めたら自分でも軽く引くほどに思い出せてしまったので、垂れ流します。
量は多いけれど、ひとつひとつのネタは軽いので、スナック感覚で適当にどうぞ。


小学校を卒業して、中学生になるまでの間の春休み。
母・姉・僕の3人で一週間ほどニューヨークのマンハッタンを旅行した。

もう10年以上前の記憶、幼少期の記憶なのにも関わらず、そこそこに鮮明に覚えている。

母の友人がメトロポリタン美術館を案内してくれたこと。たしかその足で向かってぐるぐるしたMoMAで太い多色色鉛筆を自分へのお土産に買ったこと。友達へのお土産はMoMAのお土産物売り場のところで、黄色いタクシーのキーホルダーやポストカードを買ってだいたい済ませたこと。

ホテルからの最寄り駅に隣接した、スーパーで買った寿司(カリフォルニアロール)が意外にもおいしかったこと。
「やっぱりニューヨーク物価高いな〜」なんて言いながら利用していたそのスーパーは実は向こうで言う成城石井みたいな存在で、向こうでも高級なスーパーであることに6日目くらいに気づいたこと。
ホテルと同ブロック内にあるデリで買う、カップ麺的な食べ物が安くて美味しかったこと。そこのおばちゃんはアジア系?の方でなんとなく親しみやすかったこと。

National museumに行ったら、閉館10分前とかでなぜかお手洗いだけ走って利用したこと。
そのときに発した「Where is a restroom?」が案内係にちゃんと通じて嬉しかったこと。
滞在期間中に「Where is a restroom?」と「How much?」だけはマスターしたこと。
「How much?」と質問すると、「3ドル」というのではなく、「3ダラァーズ」と発音されたことに驚いて、あとから母親に「あれはドルの複数形だからダラァーズなん?」って確認したこと。
「ほな1やったら、1ダラァーズじゃなくて1ドルなん?」と確認したこと。
ニューヨーカーの話す英語は普段学校で聞く英語よりもメチャクチャに早くて聞き取るのが難しいなと思ったこと。
National museumのお手洗いだけ利用した翌日にちゃんともう一度National museumに行って楽しんだ、12歳の少年的に一番楽しかったこと。

ブロードウェイは高いしなあと言って、オフブロードウェイの『Blue man』を楽しんだこと。
非言語的なパフォーマンスだったおかげで、英語がわからなくても楽しめたこと。

帰りに地下鉄に乗ろうとしたら、小銭が足りなかったか何かしらの理由で3人分乗ることができなかったこと。
そのとき何故か混乱した母親が普段は絶対こんな事言わないのに「いけんちゃう?」って言って、サブウェイの回転式の改札にカルガモ走法の要領で3人で入ってしまうことを提案したこと。
異国の地で小さな罪を犯して万が一にバレて問題になることが怖すぎて、母親に「絶対にやめた方がいい」と言って止めたこと。
「せやなあ、ごめん」と言ってしゅんとしながら、結局黄色いタクシーに乗せてくれたこと。

サブウェイは僕らにとっても主要な移動手段で、最初はあのなんとも言えないアングラ感と、日本では体験できないような荒々しい運転が怖いと感じつつも、なぜかスリルにワクワクしたこと。
姉が荒い運転故に不意に転倒しかけたときに、隣のニューヨーカーが姉の背中にさっと手を回して救ってくれたこと。
「これがジェントルマンってやつか」と思いながら、ニューヨーカーのことがちょっと好きになったこと。

アイコニックな黄色いタクシーにワクワクしたこと。
初めてあれに乗って、ニューヨークの街を移動している時に大きな馬が道路を歩いているのを見て驚いたこと。
「あれは日本の競馬で見るような馬とは違う種類の、馬車を引けるような大きな馬なんちゃう」と母親が教えてくれたこと。

母の高校時代の友達(日本人)の家に招いてもらってご飯をごちそうになったこと。
その時に食べた赤身熟成肉のステーキがとびきりに美味しかったこと。
その方は深津絵里さんに似てきれいな方だなと思ったこと。
旦那さんはキム兄やなと思ったこと。
深津絵里さんもキム兄もとても優しかったこと。仲良しな二人の間に子どもはおらんのか、と不思議に思ってしまったこと。

夜にロックフェラー・センターの展望フロアへと登るエレベーターの中で、目の前で輝くエンパイア・ステートビルかっこいいなと思ったこと。
あまりに早いエレベーターの中で耳がキーンとなる時に、鼻をつまんでつばを飲み込むといいと母親が教えてくれたこと。
本当に症状が解消されて驚いたこと。
エレベーターに乗る度に感じる、あの内臓と股間のあたりがほわっとする感じが気持ち悪くて、やっぱ日本のエレベーターええなと思ったこと。

セントラルパークええなあと思ったこと。
向こうで食べたイタリアンが大味な感じで、全部食べきるのがしんどかったこと。
チャイナタウンで食べた、chickenのお粥はとびきりに美味しかったこと。
チップの存在をこの度で初めて知って、レストランに入る度に「いくらにする?」と母と相談したこと。

ブルックリン・ブリッジを歩いて渡ったこと。
自由の女神は船から見て、なるほどこれが「すたちゅーおぶりばてぃー」と思ったこと。
あの一個の石像らしき見た目のものが、実は1たくさんのパーツに分解できることを不思議に思ったこと。
タイムズ・スクエアを見て、そこに集まる人を見て刺激的、だなと思ったこと。
お手洗いが借りたくて、スターバックスに入ったこと。お手洗い全体的に汚いなと思ったこと。

グラウンド・ゼロを見て荒涼とした気持ちになったこと。

この滞在の間アバクロのグレーのお気に入りのパーカーを着ている日が多かったこと。

マンハッタンは3月でもすごく寒かったこと。


つらつらと書いてみたけれど、自分でも軽く引くほどに覚えていた。
12歳でまだ何も知らない、多感な時期に訪れたニューヨークはすべてが初めての連続で、あまりにも刺激的だった。

話は少し変わって、
4年ほど前、21歳の頃、幼少期に住んでいて街のよく遊んでいた公園を16年ぶりに訪れた。
昔、”大きな公園”と読んでいた公園は、久々に訪れると驚くほどに小さくて、視点の変化を感じた。

それと同じように、25歳になった今、マンハッタンの街に行ったら視点の変化を感じるのだろうか。

12歳のころに、あまりに刺激的で大きかった街は、今でも刺激を感じさせ続けてくれるような大きな街なのだろうか。

そのときマンハッタンで一番高くてかっこよかったエンパイアステートビルは2012年にはワールドトレードセンターに抜かされ、今では7番目にまで下っている。

ビルがどんどん上に伸びる中で、ビルの麓も大きく変わっているのだろう。
僕の背が高くなるよりも、とんでもない速度で街は変わっているのだろう。

そんな街で、まだエンパイアステートビルが一番かっこいいなんてこともあるかもしれない。
最寄りのデリのおばちゃんは今でも変わらず親しみやすいままかもしれない。
あの街で一番おいしい食べ物は未だにチャイナタウンで食べるお粥とご家庭で食べる赤身熟成肉のステーキかもしれない。

お手洗いは今でも汚いままなんだろうな。
でかい馬まだおったらいいな。

ニューヨーカーの話す英語は前より聞き取れるようになっただろうか。
ゆっくり話すようになっててくれへんかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?