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近未来を予測して生きる~堺屋太一の「団塊の世代」から学ぶこと

最近、「堺屋太一」の未来小説にはまっています。彼は(1935年生まれ)、元通産省の役人で、1975年の通産省在職中(40歳)に、近未来の社会を描いた小説『油断!』で作家としてデビューしました。そして、1976年に「団塊の世代」を発表して一躍、時の人となります(78年通産省官)。彼は、通産省在職中に、大阪万博を提唱し、1970年に実現させました。今でも博覧会のイベント・プロデユーサーとしても活躍しています。彼もまた「いろんな事に挑戦する」チャレンジャーなのでしょう。

さて、「団塊」とは、地質学で「堆積岩中に存在する、周囲より硬いかたまり」だそうで、まさに、第二次世界大戦後の「ベビーブーム世代」で、1947-49年生まれの人口が突出して多い世代を堺屋氏が「団塊の世代」と名付け、今でも使われています。ちょうど、私の10歳上の世代で、70歳代前半の方々ですね。


この世代は、人口が多いので、彼らの日本社会に対する影響は大きなもので、戦後昭和の立役者となりました。1960年代の高度成長期には、彼らは、地方の農家から都市の工場へ「集団就職」をするようになり、「金の卵」と呼ばれました。また、その後の1970年代の頃は人口が多いがための競争激化で「受験戦争」と言われるような現象もでだしました。安保反対の「学生運動」もこの頃ですね。「長髪」「ジーパン」という当時としては、驚きのファッションもこの世代で流行りました。当時この世代は「ヤング」と言われた独特の価値観をもち、社会に変革をもたらす世代と認識されていました。

堺屋太一自身は、団塊の世代の10歳ちょっと先輩になりますが、1975年には、既に、この大きな人口の塊世代の未来を予測していたわけです。

「団塊の世代」は、四つの話をそれぞれ、80年代前半(35歳頃)、後半(40歳頃)、90年代半ば(45歳頃)、2000年(50歳代)と設定で物語を展開しています。ヤングと言われた団塊の世代が「ミドル」となり、その大量にあふれたミドルの状況を予測します。今の時代で言うと、大企業の「バブル世代」の状況と重なりますね。

1997年に出版された「平成三十年」は、そのものずばりの、2018年の頃の設定です。これは、1997年から何も改革がされなかったらこうなるというシミュレーション小説です。「1ドル=300円、ガソリン代1リットル1000円、消費税は20%へ―」という予想は外れたのもありましたが、消費税やこの小説でも根本の少子高齢化は外しようのない事象です。スマホの社会は予測されています。

そして、2013年発表の「団塊の秋」です。これは、団塊世代の2015年(70歳)から2028年(80歳)までのシミュレーション小説です。前作の近未来は既に過去となってしまいましたが、この作品の未来はまだ今からの話です。


この物語の最後の行は、「年を取るのは、想定した以上に難しいもんだなあ・・・」という言葉で終わっています。第三話の「孫に会いたい」は、子や孫に「伝えるもの」がないと誰も寄り付かなくなると言う話です。

堺屋太一は、2019年に、83歳でなくなりました。彼は、最後まで、近未来を予測しながら生きてきたのだろうなと思います。

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