2024.1.28 『不器用で』ニシダ

五作品からなる短篇集。
いずれも人として生きるうえで抱いたことのあるような、小狡くて情けない、けれど心の隅の優しさが滲んでいるような作品だった。

自身が虐めの対象にならないように人を下げながらも、似通った境遇の人間をなるべく守ろうとしながらもがいた「遺影」

自分はここまでではないと生物部の同級生・波多野を下に見ながら、実は自身の足元が堕ちていく様を描いた「アクアリウム」

男性サウナのタオル交換のバイトをする女子大学生が、日常を通して強みにも弱みにもなる性の本質に迫った「焼け石」

虫歯に侵されたまま放置しつつ、性的な経験者を増やすことにしか興味が無いまま朽ちていこうとする主人公に少しだけの光を残した「テトロドトキシン」

人並み以上の苦労を経て得た教育者の立場の主人公が、プライドや後ろめたさを置き捨てても一回り歳の離れた彼女への拙い想いを滲ませた「濡れ鼠」

全てが、優越感の上に乗っかっているだけの虚像を映しあって、情けなく生きている人間の本質的な部分を描いているように感じた。そしてその部分が自分にもあるように思えて、はっきりと共感した。

明確な結論自体は遠ざけているようで、物語の行く末は大体同じような、ネガティヴの先の決断でしかない。生活の上で迫られる選択は、全部が全部、納得の上の行動ではないと思う。そのなかで、自分の本心を後回しにして解消を先送りにしたまま、何となく切り抜けられたような気になっていると、少しずつ自分の足元が崩れてゆく。しかし自身はなんとかなっていると誤認しているため、虚ろな優越感で満たされてしまう。
それを繰り返していくうちに本来の目的地を見失っているのだが、それすらも自分だと肯定している、人間の甘さに踏み込んでいるような印象があった。

ただ、社会はそういった人で溢れているのも事実。意地や虚栄に塗れた偽りを動力としてクルクルと転がる世の中では、ニシダのような素直さが強いのかもしれないとすら思う。彼が怠惰で自堕落な人間に映るのは、皆が心に飼っているニシダを映さないように努力しているからなのではないかと、思ったりもする。
単純に面白いところが好きだと思っていたが、絶妙な人間味を醸し出して少し抜け出している芸人「ラランド」にしか出せない味なのかもしれないし、その味が癖になってハマっているのかもしれない。

きっと誰しもが不器用な自分と一緒に生きているのだから、上手く認めながら付き合っていくしかないと改めて気付かされた作品だった。

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