作風とは何か

作風とは何か?

ずばり、規則のデザインである。


話終わった。

んんー、....なんか、熱が下がったら書き方忘れちゃった。これもう書けなくなるパターン奴?あ、ちょっと書けそうか?

ただ、今までの自分の「規則のデザイン」に反抗したいというところもあるんだと思う。今までの僕なら、“作風とは、規則のデザインである”と言った後、それだけで終わらせないで、もっと「ちゃんと」、せめてあと数行でも、敷衍(ふえん)する努力をしたと思う。今までそんな感じでやってきたはずだ。

でももうそういうのいいよ。飽きたよ。創造性ないよ。

ここのところパターンを持ちすぎた気がする。自分では作風と思ってやっている事ではあった。でもなんだか、自分で決めてる事なのに、だんだん義務感を感じ始めた。自分の「規則」の範囲を広げたい。

どんな規則がどこまで及び、また及ばないか。これが規則のデザインである。規則とは、限定、ないしは反復である。そう、僕は哲学者である。あ、なんかごめん。限定、それは例えば、色で例えると分かりやすい。赤青黄緑の全部を使ってしまうと、子供っぽいイメージになってしまう。それも、使う面積を均等にするほど、それは顕著になる。リアリティを持たせたり、大人向けの内容にするのであれば、使う色の数を限定するのだ。そしてそれは面積の比率にも関わってくる。主題の色、副主題の色、小道具としての色1、2、3...それぞれの数や面積は、全くの自由である。

俺は何を真面目に語ってるんだ?俺どこ行った?

どっか行った。もう、どっか行っていいよ。君の役目終わった。最初からも無いけど。

...。俺が黙ればみんな幸せなんだよな?俺は今も、とっておきの暴言を用意してたんだぜ。しかも今度のばかりは、どんな人が見ても、俺を擁護してくれる風変わりな美しい人が見てもギョッとする爆弾発言。次回の記事までしまっておかなければならないのか。

次回は言うんかいw

言ってやる。それも、なんの断りもなく、な。暴言を吐かせてもらうが、などと断らない。俺からすれば、人に読んでもらおうと、わざわざ整えられた綺麗な外面(そとづら)が、無機質な明るさこそが暴力なんだよ。俺にもそう振る舞えと言わんばかりの、お前の苦しそうな笑顔。

なんだかんだ言って俺はここのところ、人を傷つけない仕方で内容を作る方向を模索し、形をつかみつつある。

それは良い事なのか悪い事なのか。

俺は功名心にかられて、つまり「スキ」欲しさに、自分の言いたい事を押し退け、読み手にとって心地の良い言葉を「自分の言葉としてし」まわないか、そこが心配なのだ。魂売りやしまいかと。俺は自分のために書いているのだ。


てかnoteさ、単純な改行が無いの寂しいな。一度の改行で二行分改行して段落を作るようになってるのは、なかなか良いセンスだと思う。でもちょっと寂しい。ちょっと不便でイラつく。単純改行。俺の数少ない友達。俺の友達を勝手に追放するnoteさん。まぁ、どうしても返ってきて欲しいというわけでもない。(友達なのにw 

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