面白い文章ってどこにもないな

今、人の文章見てそう思ったよ。失礼?かもしれない。でもさ、あなたの文章が面白くないと、なぜ俺が失礼になるのか?やっぱ俺は失礼じゃないよな?俺は俺の感想を言っただけだよ。

文章の価値って色々あると思うけど、今俺にとっては面白さが重要だ。面白い文章は何かというと、それは才能のある書き手の数だけ答えがあるが、強いて言うなら、奇をてらわずに物事の本質を捉えていながら、これまでに語られた事のないという斬新さがある事だ、といった感じかな。核心性と斬新さの両方が重要だ。変わった事言おうとして、安易な逆説に飛びつく典型的な素人作家と俺は違うという事だ。

はぁ。文章って楽しいな。何書いても成り立つからな。なんか編集者と名乗る人が作文について色々書いてたな。なんというか...うーん、中傷はやめよう。編集者に限らず、ライターなども書いている。読ませてもらったが。書いている事が、あまりにも普通すぎる。それ書いてどうなるんだよ。

しかし俺もあれだな、こうして言葉を選んで、人を傷つけないように書こうとすると、とたんに内容が茶番っぽくなってくるな。俺の本心は、他人を否定する気持ちでいっぱいなんだ。その本心は隠さなければいけないのだろうか?現実で、面と向かっては、そうだろうな。また、文章においても、特定の個人を中傷するのも、あまり望ましくない。批判する事ならば、まだ、言葉を選び、相手の人格ではなく考えや文章の内容に対して、建設的な議論を目指し、誠意を持って云々かんぬんすれば...。あー、説明がめんどくせー。まあ、批判もまだしない。気が向いたらするかもしれないが。でも多分しないと思う。存命中の人物には特に。だってさぁ、みんな優しく接して欲しいじゃん。まあ、ただ、意見が違う事っていうのは、別に悪い事じゃない。相手と違う意見を持っていた時、その意見をもし相手に言いにくいのであれば、それは日本人や日本社会のあるあるな事なんだろうな。それを悪い事だと言い切る事は出来ない。この話長くなりそうだから今はやめよう。

わかりやすい文章がいい文章、みたいな事言ってる人もいたな。結構な事だ。まあ俺も、敢えてわかりにくく書こうとする事は子供騙しだと思う。難解なものに憧れる心理というのは、男なら心当たりある人も結構居そうだ。しかし、いい歳したおっさんがやる事ではないだろう、なあ、小林君。小林秀雄の事だよ。彼は、「言わなくてもこれくらいわかるだろう」という態度をこれ見よがしにとるし、大物芸術家を崇拝しすぎていて、そして何より言ってる事が適当だ。絶妙にどうでもいい事しか言わないんだよな。飛躍を大きくしてわざと読みにくくし、それで作者は何か大層な事を言ったつもりでニコニコしてんだからな。何と原始的な少年か。当時はあのレベルで良かったんだな。ほーほー、とか思ってたんだな、周りの人は。ヤバすぎるな。

この前さ、初めて文芸誌ってものを買ってみたんだよ。四、五冊。くそつまらなそうだったけど。いや、面白いといいなと、ちょっと期待したよ。読んでみたら、んー、て感じ。てかあんま読んでない。つまんなすぎて。笑。面白いとは何か、追求してないだろ、誰も。まぁ、誰もではないな。ちょっと面白いもんはあった。どれ(誰)とは今言わんけど。なんかさ。プロとして活躍出来れば、雑誌に載り本を出版出来れば、それでもう満足なんだろうな、きっと。作家ですって名乗って、事実が存在してれば、それでもうご満悦なんだろう。書かれてる内容がさ、お前なんでこれを書いた?って物ばかりなんだよな。別に書かなくても良かっただろ、と思える物ばかりだ。結局表面的に言葉を並べ立てただけなんだよ。確かに、オリジナリティはありますね、どの作家も。でもそれも、なんでそれを採用したのかも良くわからん、ごく表層的かつ些末な特徴に止まるものばかりだ。だいたいどの作品も、驚く程どうでもいい内容しか書かれていないんだ。

活字追ってるだけで、充実感感じたりとかする連中なんだろう。もうなんかただの嫌味になってきたから、この辺で切り上げよう。面白くない物や人気の無いものを好む心理ってあるよな。また、そういう人。ごめん、言い方がちょっと酷い。俺はでも、そういう人好きだよ?何を隠そう、俺だってそういう面あるし。でもさぁ。考えてみると、自分のポジションや社会性のために、つまりファッションとして、「自分の好みを意図して決めている」ようなところ、なんか不純というか、それって偽物だろ?それを好きと感じたというより、それを好きと言う自分で居たい、そう主張する自分で居たい、という。まぁ、突き詰めて考えれば、それも別に悪い事じゃ無いのかもしれない。ただ一つ言えるのは、自分の技術をそういう目でしか見てないなら、それは生ぬるいぞ、て事だ。問うてみろよ。それは確かに面白いのか、と。

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