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平穏に過ごすということ。

みなさんこんにちは。デザイン担当のNashi3です。
今回は特別編、デザインに関係ない話をします。

『自分が犯していない罪に対して、反省を要求され続ける。』

みなさんは、そんな苦痛を味わったことはありますか?
今日は思い出話とともに、そんな話を書いていこうと思います。

メンタルに響く話なので、心が落ち着いている方のみご覧ください。




「人を変えることはできない」

…と言いますが、私はウソだと言えます。

人を変えることは簡単。
「犯していない罪に対して、反省を要求し続ける」
対象人物に対し、これを繰り返し行えば、人とは簡単に壊れます。


ここから、少し自分の過去を話します。
私は幼いころから、トラブルとは距離を置いて回避するタイプでした。
「距離を取る」。
両親と折り合いが悪く、兄弟もいない自分には、唯一自分の身を守る手段でした。

ただし友人や身内が被害に遭っている場合は別で、殴ってでも止めに行くようなところがあり、昔はよくケンカもしていました。小1の頃、友達をケガさせた6年生に殴りかかったのが、一番古い記憶です。

成長するにつれ、手は出なくなりましたが、友人が友人の悪口を言っていたりすると、その友人からは距離をとるようになりました。
大人になるにつれ、私は段々とひとりで行動するようになっていきました。

そうして社会人。
同じように「距離を取る」を身を守る手段としつつ、自分的には平穏に過ごしてきました。友人が友人の悪口を言っていたりすると距離を取る、を繰り返した結果ですが、なんというか…女性の友人は少なかったです。


仕事上、責任ある立場になってから困り始めました。
お取引先とは距離を取れない。そこで覚えたのが「お茶を濁す」。
話の途中でうやむやにするような折衷案を出して、まぁまぁ、といった感じでやり過ごしてきました。
女性の友人は増えました。


口喧嘩はせず、お茶を濁し続け、距離を取る。
それを繰り返して成長し、自分なりに平穏に過ごし、時を経てとある会社に転職することになります。

その会社は、人間関係が割とドライで、でも仲が良い人はベッタリ。という特殊な環境でした。

私は今までにない環境に戸惑いつつも、口喧嘩はせず、お茶を濁し続け、距離を取る。を繰り返していました。


入社して1年くらいかな…ある日突然、上司の上の人から呼び出しを食らいました。

「Hくんと何かあったの?」

Hくんは、同じチーム内の人間でしたが、関わることがなくその時点で半年会話していなかったと記憶しています。
特に思い当たるフシがなかったので、交流がないことを伝えました。

ただ嫌な予感はしました。このHくんは人の悪口を言って笑うタイプの人だったからです。気になったので「もし何かあったら仲裁をお願いします」、と伝え、その場は解散となりました。


それから2か月くらいかな。
また、上司の上の人から呼び出しを食らいました。

「梨さんは人の仕事を奪い、仕事をさぼり、人の悪口を言っている。という告発があった。」

全く心当たりがありません。
なぜなら休日出勤を詰め込まれ、終電ダッシュで帰る残業が続いている真っ只中。残業超過で産業医さんに呼び出されるのが続いていました。
さらに休職を考えていたこともあって、いつにもましてメンバーと会話をしていない時期でした。


ただひとつ、心当たりがあること。
それは「告発者」とされた人が、「人の仕事を奪い、仕事をさぼり、人の悪口を言っている。」人であったということでした。

業務中に人の悪口を言って笑うような3人組がいました。
例のHくん含め4人で、業務中に「アイツ無能、死ねばいいのに」といってクスクス笑っているのが聞こえていました。
ターゲットは次々と変わっていたので「次は私がターゲットになったのだ」と、その瞬間に悟りました。
ちなみに、私が休日出勤を詰め込まれていた原因も、この3人のうち1人から仕事を回されていたからでした。


上司の上の人は、加害者と被害者を逆に勘違いしている。と思い、私が「それは」と言いかけた時。

「「「言い訳は良いから!!」」」

大声で怒鳴られました。

頭の中が真っ白。
そのあとの会話は覚えていませんが、頭の中が真っ白で、何も言えなかったと思います。パニックです。

「口喧嘩はせず、お茶を濁し続け、距離を取る。」

真っ当に反論することもなく、怒ることもなく、避け続けてきた私はただひたすら黙って聞いているだけでした。
何も覚えていませんが、「3人が連盟で告発したのだから、間違いなく梨さんが悪い。」と言われたことだけ覚えています。

今思えば、ログや出勤簿、タスク表を見ればすぐに「ウソ」とわかる内容。一緒に働いているメンバーを呼び出せば「梨さんに限ってありえない」と言ってもらえたでしょう。
でも、この人は私を呼び出した時点で、告発者の言い分は絶対的に正しいと、自分の判断を信じ切っていたのでした。


その後。
私はチームを離脱しました。当然です、影響力ある人の怒りを買ったので。
「告発者」は当然お咎めなし。(退職する前くらいに「あの人は人の悪口を言う人だ」というのがまことしやかに噂されているのを聞いた程度です。)

行く先々で、「人の仕事を奪い、仕事をさぼり、人の悪口を言っている人だ。」と言われ続けました。
新たに上司になった人にも「反省して、態度を改めなさい。」と面談のたびに言われました。

なにをやっても評価されない。実績を上げても、チームのピンチを救ったと感謝されても、ずーっと「反省しろ」「反省しろ」「反省しろ」。

「私は何を反省すべきなのか?」

誰も答えてくれません。

「理由は分からないが、上からの印象が悪い」

それだけでした。


意味が分からず、自暴自棄になって、睡眠時間が短くなり、朝日とともに寝て、泣きながら起きて、泣きながら仕事に行って、泣きながら仕事をして、泣きながら電車に揺られて、出勤中に2回ほど自殺未遂を起こしました。
(歩道橋から飛び降りようとして、警察や知らないおじさんに止められました。)

幾度となく産業医さんやカウンセリングのお世話になりました。「会社を辞めるか、すぐ休職しなさい」と言われ続けましたが、休んだら何を言われるか分からない恐怖から、休めませんでした。
病気になっても、熱が出ても、会社に行き、仕事をしていました。
給料を下げられ、人事異動に振り回され、仕事を取り上げられても自分にできることをし続けました。

仕事が大好きだから頑張れました。

あるとき、あまりにひどい噂を見かねた事業部長が、直々に私を監視下に置きました。数か月観察して「うわさが本当だと思えない」と擁護してくださいましたが、その人はそのあとすぐ辞めてしまったので、救われることはありませんでした。


私の人格は完全に壊れました。
誰も信じられない、数字を出してもムダ、社外の人に評価されてもムダ、何をやってもムダ、ムダ、ムダ。
転職活動なんかできるメンタルではなかったです。
身心ともにボロボロで、体の方は今も治療が続ています。
心は回復していません。


それから数年。


耐えに耐え、誰にも文句を言われない仕事をやり遂げて、会社を退職しました。他人の実績になっちゃっていましたが、私は満足しましたし、外部の方と触れ合うことが多かったおかげで少し正気に戻ることができたのもあって、やめました。


「私は何を反省すべきなのか?」


今考えると、事なかれ主義に徹したことだっと思います。
違うことは「違う」と言う。
怒るときは「怒る」。


距離をとる生き方は抜けませんが、怒るときは怒っていることをちゃんと伝えないとダメだな、と思っています。
余談ですが、転職したあともひどい目にあったので「怒る」をしてみました。ヘタな「怒る」の仕方ではありましたが、結果的に良かったと思っています。

退職後、この怒鳴った「上司の上」の人から連絡がきました。全然関係ない内容でしたが、割とフランクな感じの文体で「ああ、この人は、人を自殺に追いやった自覚なんてないんだな。」と思いました。

Twitterをご覧になられているようなので、このnoteを見ているかもしれませんので、一言だけ伝えたい。

あなたは「人は変えられない」と言いましたが、あなたの一言は「人を変えた」ということを忘れないでください。

私からの精一杯の怒りをここに書いておきます。



幸い、このうわさが届かず、私と一緒に仕事をしたメンバーは、「仕事大好き、働きすぎの梨さん」と、言って今も親しくさせていただいています。
(生放送などで私を知ったユーザーのみなさんも、たぶん似たようなことを思われてるかと思いますが。笑)

人間不信は治っていませんが、正気の部分では大事にしたいご縁だと思っています。

今の私は、ヘタながらも反論する、怒るをしようとしています。

実は今、会社の方でもかなり理不尽なことがあったので、どうやって怒るか考えています。
それを考えているうちに、この文章がまとまりました。


みなさんご自愛なさってください。何かあったら私が話を聞きますし、同じ状況の方は早々に逃げることをオススメします。

以上です。
今後は元の路線に戻るつもりなので、安心してくださいね。


では、また今度!




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