熱と怒りとパッションと。
こんなにディープで熱い大人だったんだなぁと、ここ数日で思い知らされる、やしきたかじんさん。
母親が好きで聞いていたときに、歌詞がわからないままでも耳に入ってくる部分だけ、彼の歌を口ずさんでいた子供のころ。
「この人はほんまにコンサートでは深々とお辞儀して、歌もほんまにええんやで。」
と、母親に言われたけど、全くピンと来なかった記憶がある。
たかじんさんと言えば、子供の頃に毎週土曜日にお昼ご飯を食べながら、たかじん胸いっぱいという番組で暴れてしゃべくり倒している、面白いけど怖いおじさんっていうのが私の中のイメージ。
だから、一緒に観てた祖父がなんであんなに面白がってるのかも謎だった。
彼が発する言葉の味わいは、小学生にはキツイわそれは。
今なら全部、合点が行くけど。
いや、合点が行くどころか、コンサートに出向けなかったのが本気で惜しい。
見てみたかったな。
感じてみたかったな。
生であの熱意を。
最近はというか、昔からかもしれないけど。
あれだけエネルギッシュな人を、本当に見なくなったなーって思っていて。
熱い人、減ってるんかな。
寂しいな。
なんで今、たかじんさんに行き着いたのか、その経緯はよく覚えてないけど。
でも、今また会えて良かった。
熱い人を、心は求めていたんだと思う。
数日前にあったこと。
「そこまで真剣じゃなくて、程々でもいいよ」
「昔の自分を見てるみたい」
と、一見優しい言葉っぽいものをかけられて。
でも実際は。
同業ならではの苦労やエネルギーの費やし加減も知ってるはずなのに。
エネルギーを喰う方にしれっと立てていて。
自分が何やってるかわかってへんねんな、みたいなこと、ちょっとというか、かなりイラっとしたっていう出来事。
力まなくていいよーって言いながら、なんで頑張ってる人を喰いものにできるんかが、ほんまに謎。
でも、自覚がない時は、案外なんでもできてしまうからそうなのかもしれんね。
私もこんなことを言いながら、失礼なことを日々重ねてるんでしょうし。
怒りを熱に持ち込まないほうが、今は生きやすいと思う。
でも、おかしいことにはおかしいと。
好きなものには、この上なく全力で。
そんな、自分がいいなっていうスタンスと、本の中で表現されているたかじんさんの人間性が重なって、嬉しかったりプロっていうものに脱帽した。
一生懸命に表面で見える人は、その裏はほんまに一生懸命どころじゃないんやなと思った。
ありえへん話やけど。
たかじんさんが話を聞いてくれていたら。
程々じゃなくて、納得行く方を選べ。
徹底的にやれ。
って言ってくれそうって、読了して思った。
一生懸命ってかっこええなって思ったっていう、今日のつぶやき。
怒りと一生懸命はイコールじゃないけど。
本気の熱の込もった、投げかけるような怒りは嫌いじゃないんよね。
その人の、ピュアなパッションも漏れてるから。
最後の最後までお読みいただきまして、ありがとうございました! 良い息抜き時間になりましたように。