見出し画像

vol.31 σστ 梨茄子より 夜風がぬるくなくなって τσσ


梨茄子が不定期で発行しているメルマガのアーカイブです。
お送りしたものをほぼそのまま載せています。

2022年8月28日17時発行
*   *   *   *   * 

 こんにちは。梨茄子のたちくらです。7月号に書いた猛暑の過ごし方、やってます!氷菓と胡瓜の美味しさに目覚め、日当たり悪い喫茶店に入り浸り、夜道を歩き回っています。ワンピースも買って何回か着てるんだけど誰も何も言ってくれなくてさびしい。でも、何もできた気がしないまま夏が終わっていくのがいちばんさみしいです。

◇◆とある流行らぬ病のなまえ◆◇

 人前で話さなきゃいけない時に、テーマに沿ってるような沿ってないような、とりとめがないことは間違いない徒然トークしがちなんですけど、今回はそういうつもりで書いてみます。流れてったっきり帰ってこないかも、その時は安全なところから手を振ってください。

◇◆◇

 脳血栓という、脳の血管に栓ができて詰まっちゃってわぁ!ていうその病名を聞いたとき、ひどく即物的な名前だと思った。

 冷静に考えれば、肺で炎症が起きたら肺炎とか、病気の名前はたいがい身も蓋もない。でも脳血栓の即物感は肺炎よりずっと強くて、それは病名に加えて、起こる現象が、日常で感じる物理の範疇にあるからじゃないかと思う。

 例えば炎症は、体によからぬ物が侵入したりして腫れるっていう体内でしか起こらない現象で、異物が侵入して白血球が応戦する現場を見ることはできない。でも、管が詰まった!なら、知ってる。もちろん脳の血管が詰まる現場は見てないけど、なんかの管が詰まってえらいことになる様は、いつかどっかで見ている。人体でもあの現象が起こるんだ、体も、私がわかるくらい単純な物理法則に支配されているんだ、という即物感に、諸行無常と安心を同時に感じたりした。

 私の祖父はだいぶ前に脳血栓で、亡くなってはないけど倒れて寝たきりになってそのまま死んだので、脳血栓により死へのステップを不可逆的にのぼったことにはなるだろう。

 倒れる前の祖父は、おしゃべりで、ビール飲んではご機嫌に謎の持論を披露する人だった。でもそういうキャラになったのは最近で、会社勤めをしていた頃はえらい無口で不機嫌だった、と祖母と母は言う。

 祖父は仕事中の事故で怪我をして手に障害が残っていて、みょうに短くて縮こまったツルツルの指をしていた。それなりに不便だったはずなのだけど、食事やら何やらは一人でしていたし、なんなら単身赴任で一人暮らしをしていた時期もある。細かい作業をするときはピンセットを使っていたらしく、祖父母の家のペン立てには大小様々なピンセットが刺さっていた。祖父の手が縮こまってなかったらピンセットなんてきっと入ってなかっただろう。

 祖父が手のことを気に病んでいる様子は見たことがなかった。バスで料金を払うときに、手を見た運転手さんに障害者手帳あれば無料ですよって言われ、今まで払ったバス代を悔しがったりしていた。

 手が不自由なことに不自由さを感じてなさそうだった祖父も、倒れてから寝たきりになり喋れなくなって、さすがに不自由そうだった。不機嫌に黙った祖父を見舞っては、会社員時代の無口で不機嫌な祖父を想像しようとしていた。酔っ払って笑ってる祖父と、むっつりだんまりの祖父と、どっちがより祖父の本質に近かったのだろう。
 
 祖父は、倒れるちょっと前からへんに怒りっぽくて、元職場の飲み会に呼んでもらったのに何かに怒って途中で帰ってきたりしていた。倒れた後にそれが病気の前兆だったときいた。私は意地悪で怒りっぽくなった祖父を嫌いになりかけていた。祖父との関係が悪くなっていくのは祖父のせいでも私のせいでもなく病気だからということになり、つまり病気という巨大な悪が細かな悪を全部かっさらっていき、本当は病気だけのせいではなかったのかもしれないのだけど、でも当時の私はかっさらわれるに任せて、よかったおじいちゃんを嫌いにならなくてすんだ、と思った。また、無数にある脳の血管の小さい一つが詰まっただけで人はこんなに変わるっていう、絶望的な即物感を覚えた。

 当たり前だけど、寝たきりになってから祖父はビールを飲めなくなった。寝たきりになったからといって急にお酒を欲さない体になるわけでもないだろうから、それなりにつらかったと思う、もちろん愚痴を聞いたことはないけれど。寝たきりで喋れないという生活の中で、お酒を飲めないのは何番めにつらいことなのかしら、というのが最近、気になっている。

◇◆◇

 こんなことをつらつら書き綴ったのは、祖父の命日が近いとかでは全然なくて、というかそもそも命日がいつだったか思い出せなくて、秋だったような気はするんだけど、いつだっけ? あ、お盆だったからか、それらしいことなにもしてないけど。なにやら不謹慎なことを言ってますけど、祖父はあんまり気にしない方だったから、まあ大丈夫だと思います。

◇◆ちかぢかの梨茄子◆◇


≪たちくら 出演≫
青年団『ソウル市民』ポーランド公演
リンク、飛ばないでしょう。なぜなら貼っていないから。劇団サイトに公演情報が載ってないのです。え?行くよね?豊岡公演の終わりにポーランド用の荷造りしたよね?あれ?嘘?誘拐とかされる?

≪下駄 出演≫
「FOOTPRINTS」vol.42
リンクを貼ってはみましたが、アーカイブとあるので公演情報はきっと載りません。米澤一平さん、手代木花野さんとのパフォーマンス、9月22日に日本橋のDouble Tall にて、というのは口伝えでききました。開演時間は謎のままです。これも嘘かもしれない。

≪カゲヤマ・下駄・たちくら 出演とか演出とか≫
QUAD
流行り病のため延期しました!!延期先は10月10日(月・祝)です。延期前のチケット、実はすんごい売れてたそうなのでどうぞお早めにお求めください。ポーランド公演後たちくらが存在しているかがいちばん心配。

≪たちくら 書いてます≫
乗る場レポート 円盤に乗る場の活動のレポ係なのですが、あまりにも読んでもらえないので執筆者自ら宣伝します。

たちくらの日々 下駄くんが良いのではというのでブログをはじめました。メルマガには細かすぎる日々の気づきを書くつもり。

◇◆下駄くんからなにごとか◆◇

 
 こないだのお盆に、4年ぶりに実家に帰って、墓参りに行きました。
みなさんは墓参りについてどう思っていますか。僕はよくわかっていません。

 行くたびに墓石があるなとは思うけど、これを故人とどういう風に結びつければ良いのか、子供の頃からいまいちピンときていません。みんな墓石を見ると、故人をありありと思い出すんでしょうか。

 とはいえ、故人を介した血の結びつきといいますか、みんな元気にやってる?パーティーを開く口実として、お盆がいまだに続いていることはよくわかります。やはり死はドラマチックなので。

 そう思うと、墓に参ることは、過去に沢山ある血縁の死の上に自分がいるということを改めて自覚して、今ある血縁を大事にしようねということなのかな。血は立ったまま眠っているわけですね。

 だったら、もっと劇的な墓がいいのでは。自分だったらどうするだろう。例えば、僕が死んだあと血を全部抜いて、科学的な手段で凝固しないようにして、なんか透明な容器を満たして、オブジェ的に置くとかはどうだろう。

 いい気がしてきた。自分の墓に参りたくなってきたな。

◇◆たちくらのお返事◆◇

 
 血のお墓って要冷蔵なのかしら。アイスワールドみたいな墓地に置くのかしら。お盆はいいけど、命日が冬だと寒いな、と思いました。

 あー血を残すねーなるほどねー。わたしの血も残していいなら、糸を染めて塩田千春さんのインスタレーションで使ってほしいな。でも血なんてきれいに染まるものかしらと思って調べてたら、豚の血で染めた漁網がでてきた。撥水効果が出るそうです。へー。

* * *

梨茄子では、不定期(月1回目安)でこのようなご案内をお送りしています。送付不要の方はこのアドレス宛に空メールを送ってください。

リンクや募集は当時のものですので現在はご覧いただけない場合もあります。ご了承ください。

こちら、メルマガ登録フォームです。
※icloud.com、mac.comのドメインにお送りできない事件が発生しています。他のドメインのアドレスでお申込みください。

ご質問・ご要望などありましたら、お気軽に梨茄子までご連絡ください。
noteのアカウントお持ちでしたらこちらご参照ください。
お持ちでなかったら、メルマガ登録フォームの中にメールアドレスが見えているはずですのでそちらから...

アーカイブは随時追加します。どうぞお楽しみに。

サポートしていただいたお金は、なにかしらの文章や短歌を制作していくための研究費、パフォーマンス作品の制作費・研究費にします。