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魔の退散。環境整備 -エピソード0-

お疲れ様です。総務部総務課マモたろうです。

今回は「環境整備」をテーマした「エピソード0」です。
「環境整備」の実務には触れてませんのでご了承ください。

自転車泥棒

当社では自転車通勤者が多くいます。屋内に駐輪場を設けており社内の人しか使用しません。ある時、その中の1台が盗難にあいました。
数日後に犯人は社員だと判明しました。その社員は少し前に自転車が壊れてしまい手元に自転車を買うお金がなかったそうです。
そんな時に駐輪場に鍵のかかっていない自転車をみつけ……持って帰ったそうです。
出来心とはいえダメなことです。窃盗する人が悪いです。

ただ、もし鍵がかかっていたら……

ラスコーリニコフの斧

【囚人狂時代 見沢知廉 (著)】という本にこんなエピソードがあります。

犯罪を犯す直前、いずれの人間も似通った心理状態を経験していたことである。それはドストエフスキーの『罪と罰』で描かれた“ラスコーリニコフの斧”である。つまり、主人公ラスコーリニコフが、自分の超人思想の論理を立証し、金を盗むため金貸しの老婆のところに行き、いざ現実に老婆と対面すると心に迷いが生じたが、そのとき、そこに、目の前に、斧があるのを見て、これを「神のサイン」(実は悪魔のささやき)だと勘違いし、老婆殺しを実行したのである。このように犯罪を決行しようと最初は興奮しているが、そのうち冷静になり、あれこれと言い訳を考え、逡巡し、迷っているが、止めようとしたところ、その日に限って、そのとき、そこに、目の前に、犯罪の決行を促すような事柄が生じ、それを「神のサイン」と誤解して犯罪の実行に走ることを“ラスコーリニコフの斧”というそうである。これは、俗によく言われる「魔が差す」ことである。心の迷いに、悪魔が来たりてささやき、偶然の出来事を神の啓示と誤解させ、犯行に走らせるのである。
犯罪者には、犯行の直前、“ラスコーリニコフの斧”が現われ、「魔が差し」て犯行に及ぶのである。

見沢知廉【囚人狂時代】

たまたまでしょう。

でも、社員を犯罪者にしてしまう「たまたま」がある。
「わたしはこんなに頑張っているのに……」という隙間がある。

オフィスにいる魔

鍵のかかっていない自転車、中身をみない承認の判子、深夜のオフィス、ゴミが気にならない環境……。
いたるとこに「魔」となるものがあります。
魔は差すことがあるもんです。

「彼は真面目な社員だった」「まさかそんな人間だとは……」
実際にハードルを超えてしまった人間が間違いなく悪いです。

しかし総務はオフィスづくりのプロでなくはならない。
「環境整備」次第で彼を犯罪者にしなかった未来があったかもしれない。

おわりに

オフィスはお金がかかります。出来ること、出来ないことはもちろんあります。しかし「制約があるからこそのデザイン」です。

オフィスを綺麗に、働きやすく、ウィルビーイング……いろいろな観点がありますが「魔が差すの退散」という観点も取り入れてみてはいかがでしょうか。

環境整備のエピソード0でした。
環境整備で不幸をうまない職場が増えることを願います。

お読みいただきありがとうございます。

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