成功体験のバケモノが、ハラスメントをしているのではないだろうか。
パワーハラスメントについてのニュースを多く目にします。シンクロニシティなのでしょうか……。
愛知県、福岡県の市長、参議院議員、有名会社経営陣……、氷山の一角でしかないでしょうが、告発が止まりません。
以前「中小企業のパワハラ」について投稿しました。そこでは育ってきた環境が大きく影響していると記載しましたが、なぜパワハラをするヒトに変わるのかという点には触れていませんでした。今回はその部分を個人的な雑感として投稿します。
パワハラをするヒトに、なぜ変化するのか。
成功体験と承認欲求が暴走し、バケモノになったと感じています。
「水は低きに流れ、人は易きに流れる」
原典は性善説を提唱した孟子だそうです。
人は、聞きたいことしか聞かないし、見たいことしか見ません。そのため、自分の要求をきいてもらうには、力を使うのが「易き」です。権力や暴力に頼るのが手っ取り早いのです。それが「成功体験」となり、自分には力があるという「承認欲求」も満たされます。これは「はけ口」によりストレスが発散したという成功体験も含まれると考えています。
組織の人と人は、絆や信頼といった面もありますが、結局は利害関係で結ばれています。そして法律よりも「組織内のルール」が優先される盲目的な集まりです。その中で力による「成功体験」が積み上がっていく、増長していく。
成功体験が積み上がった状態は、つまりは「成功者」です。お山の大将であろうが「成功者」です。それは自分は「正しい」に、なぜか繋がります。そして正しい自分がいうことは正しいとなり、要求の正邪の境界がぼやけくる様子です。ついにはバケモノと化します。
バケモノは組織を「自分のモノ」だと思い、その中にいる「人間」も「モノ」であるという錯覚に陥りやすいという面も感じます。
要求が通りつづける中で自律することは難しいです。貢ぎ続けると人がダメ人間になっていくことに似ているかもしれません。
力の成功体験の積み重ねが、自身を成功者だと認識させ、成功者の自分は正しいと錯覚する。そしてバケモノと化す。
パワハラのある環境で育ってきた以外にも、パワハラの芽はなくなりません。誰でもが、そうなる可能性を感じます。
早い段階で丁寧に芽をつんでいくしかないかもしれません。心理的安全性の確保、孟子のような倫理面のメンターをもつ、諫言してくれる部下を大事にする。痛いこと、苦いことは嫌ですが、自分を健全に保つには必要だと感じます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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