上村元のひとりごと その237:食パン
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
小さい頃、クリスマスは、食パンの日でした。
イブの晩に、父が提げてくるものは、ケーキの箱ではなく、ビニール袋。
大手製パン会社の、なんの変哲もない、八枚切りです。
それを、24日と、25日に、父が、二枚、母と僕が、一枚ずつ。夕ご飯に、食べるのです。
温めはしますが、トーストほどに、焦がしはしない。バターもなし、ジャムもつけない。文字通り、主食のパンでした。
十八歳まで、毎年、繰り返し、食べ続けていたものだから、一人暮らしをして、初めてのクリスマス。
思わず、一斤を買いそうになって、踏みとどまりました。
いくらなんでも、年越しまで、引っ張るわけにはいかない。
でも、食べないと、なんだか落ち着かない。
悩んだ挙句、近所の文房具屋で、食パン型のマグネットを買って、それを眺めながら、聖夜を過ごしました。
以来、二十年近く。
今年もまた、この日がめぐってきて、今、僕の手には、古ぼけた食パンが握られています。
むっきゃー。
巨大なピカチュウに、頭突きを繰り出しては、ひっくり返して、大喜びのミントです。
どうして、食パンだったのか。
普段の我が家は、米食で、滅多なことでは、パンは食卓に乗らなかった。
取り立てて、父も、母も、おいしいとは言わなかった。ただ、決まりだから、その晩は、食パン。そんなふうに見えた。
僕も、そんなものかと思って、あえて、なぜとは訊かなかったけれど。
ため息をついて、手のひらを開き、炬燵の上、鎮座する父のカメラに、そっと、食パンを添えます。
サンタクロースが、もし、いるのなら。
お願いがある。
このカメラと、食パンを、引き取って欲しい。
もう二度と、僕の目には触れないところに、僕の心の痛まないところに、隠して欲しい。
深い雪の中に、埋めてくれたら。
何百年も、何千年も、何万年も溶けない、氷の中で、眠らせてくれたら、どんなにか。
ぬきゃーん。ぐひゅーん。
ピカチュウの腹に乗っかって、バランスボールのように揺られて、陶酔し、気持ちよさのあまり、ピカチュウのほっぺたにかじりついているミントを見やって、何も考えず、ただ、微笑んでいたいのに。
ゆっくりと、日が暮れます。
夕ご飯の時間が、近づきます。
記憶の中の食パンが、ちくちくと、胸を刺す。
食べなければならないのに、食べない自分を、責め立てる。
腹が痛い。
また、トイレに立てこもりか。
つるんこ。すってん。…。むがぐわぎしゃー。
案の定、動いた拍子に、脚を滑らせ、床にべたんと叩きつけられて、驚きと痛みに、ぶち切れる声がします。
のろのろと、立ち上がり、逆立つ青緑色の毛皮を、抱き取って、腕に揺すり、ぶんむくれのお気持ちを、なだめて差し上げます。
結局、両親に、プレゼントを送れませんでした。
Amazonで決めて、カートに入れて、配送先の指定までしたのに、どうしても、確定ボタンが、押せなかった。
認知症で、施設にいる父は、きっともう、食パンのことも、僕のことも、覚えていないでしょう。
介護に通う母は、まさか、自分のために、食パン一斤は買わないでしょう。
だから、何もかも、終わっているはずなのに。
腹が痛い。
思い出を、ちっとも、消化しきれていない。
んふーん。くふーん。
けろっと機嫌を直して、首筋にすりついてくるミントを抱いたまま、ベランダへ歩み寄り、すすけたカーテン越しに、夜の始まりを見守ります。
無理に、けじめをつけようとすれば、僕は、自死するしかなくなる。
ミントのおかげで、そちらへは、二度と進めなくなった。
あとは、痛みと、付き合っていくだけ。
消そうとしないことだ。
痛み止めを飲めば、一時的には、麻痺するが、根本的な解決にはならない。
痛くたって、いいのだ。
生きている証拠なのだから。
そのうち、痛くない日も、きっと来る。
というか、今、この瞬間。
僕は、腹は、痛いだろうか?
にーのう。
肩に両脚をかけて、耳元で、ご飯をねだる、可愛い声がして。
…痛くない。
そうか。
うん、今は、痛くない。
そうか、よかったね。
うん、大丈夫。ありがとう。
どういたしまして。
ミント、今夜は、数の子のわさび漬けを買ったよ。
きっと、「酔鯨」に合うよ。食べてみない?
めやーん。
うっとりと、よだれを垂らさんばかりのミントに、微笑んで、電気をつけ、カーテンを閉めます。
とにかく、瞬間を、引き延ばすことです。
痛くない、その瞬間に、手をかけて、ぐっと、広げる。
そうすれば、笑顔が戻ります。
それぞれに与えられた、それぞれのクリスマスを、祝いましょう。生まれてきてよかったと、心から、思えますように。それでは、また。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?