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きっと何者にもなれない私へ

はたして私たちは何者かに属さねばアイデンティティを確立できないのだろうか。さして大したことのない一人間の私がそのような事を考えてしまう事が時々ある。
わたしは〜をやっています。わたしは〜という会社で〜を担当しています。フリーターです。闘病中です。目標は〜です。とか。
文字を並べたらなんにでも化けられるから、言葉は時に疑い生真面目に聞き入れてはならない事もある。
果たして?自分は?何者なの?自己紹介ができないとこの現代社会において存在しづらいのは、多少はあると思う。嫌だけど。不明なものは怖い。暗闇の中、何も見えないと歩き辛くて怖いように。私は今まさにそのように歩いているようで怖いし、周りの人には私は黒い洞穴のように見えているのではないかと思ってしまう。不可解でいて明瞭でないものは、近付き難いでしょう。

自分はどのようにこの二十代をあゆんできたのだろう。来月で、二十代が終わる。なんてことない。おめでとうとはちょっと違う。誕生日は日常の中に完全に溶けていて構わない。これからの話がしたい。
これからの話をする為に、これまでを振り返らねばならない。避けては通れない。たくさんの人に迷惑をかけ、お金を浪費し、友人を裏切り、身体を売り、惨めに生き延びた20代。果たして、それだけだろうか。もっとたくさんあるはずで、わたしはもっと20代の記憶からこれからの希望の糧となる何かをサルベージしなくてはならない。逃げてはいけない。自分からは逃げられない。

申し訳ないが口癖の私よ、明日も明後日も生きねばならないのだ。

自分から逃げるな

何者でもないから、この世にいてはいけないなんて、そんなの嘘だ

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