見出し画像

「絵を描く」事を辞めた。30歳の始まり。

誰に当てるでもなく私に宛てた文章を記す

「好きなことをやめてみる」
を 今試している

好きなことをやめたらどんなメリットとデメリットがあるのか
日常がどんなふうに変わるのか、普段の思考にどんな変化があるのか
良し悪しではなく、変化を観察して自分にとっての心地よい、を取捨選択していきたくて。先日30歳を迎えたから、人生もしかしたら折り返しに近いかもしれないし(60歳まで生きれたらいいよ)常に時間があるなんて思ってたら、おばあちゃんになって、歩けなくなって、耳が遠くなって、誰かの楽しい会話が聞こえなくなって、一緒に笑えなくなるかもしれない。

目が悪くなって、ぼんやりした緑でしか、植物を愛でられなくなったり、飼っている愛しの猫を見つけるのに苦労したり、段差につまずいて転んでも誰も手を差し伸べてくれなかったり、悲しいことも見えなくなったりするかもしれない。

悲しいタラレバ。でも現実に起こりうること。起こり得ない事なんてないでしょ? 悲劇も、喜劇も、唐突にやってくる。

好きなことをやめて、私の人生はどうなるかな。「絵を描く」事をやめてみた。まだ3日目。もう3日目。辞めた、って意識してみても意外とそんなに気にならない。今までずっと、惰性で続けてきたから。むしろ少し開放感すらあって。 他人と比較する「私より年下なのに上手い」「自分の絵なんて誰も見てない」「何のために描いてるのか」「時々描いてても虚しくなる」

自分でこうして思い起こしながら書き込んでいても、何で今まで絵を描いていたのか疑問しかない。

小学生の頃、私は美術が唯一好きな授業で、その時間は最も集中力を発揮していたと思う。眠気をいう本能は消えて、夢中だった。不思議と、作品を褒めてもらえることが多くて、そこでも唯一他人に認められたような気がしていたから。(作品を作る時はそんなことは考えてなかった。)

作品を母親に褒められるのが気持ちよかった。母の寝室の壁にずっと貼ってもらえたり、大切に保管してもらえたのが嬉しかった。
大人になった今ではデジタルで描いたりしたものばかりだけど、いつかまた、水彩で描いた何気ない絵を母に贈りたい。私が絵を描く原動力の原点は母だったのだろう。

絵をやめたら、きっとまだ後悔する。小我な欲望だけど。
欲望は満たした方がいい。私の稚拙な本能がそう言ってる。

でもまだ暫く描くのはやめる。やめた中で自分の感情の動向を観察したい。
やることでの学びを得たいから、辞めた事での学びも得たい。
そして、やることへの喜びと、やりたくてもできないジレンマを乗り越える精神が見つかればみっけもんだ。

好きなことから距離を置く、逃げる、そんなネガティブイメージはネガティブなのかという自分の観念を疑え。
悲劇も喜劇もきっと唐突だから、そんな時私は私でいられるために。

そんなふうに仕切り直す、三十代の幕開けの第一歩。


この記事が参加している募集

振り返りnote

よろしければサポートよろしくお願いいたします。頂いたサポート費は活動の為の資金としてありがたく使わせていただきます。