記憶が曖昧になったとき、それはちゃんと思い出になったんだなぁと思う
突然だが、僕はカロリーメイトと鯖缶がめちゃくちゃ好き。これはこの先に書くこととはほとんど関係ない。ただ、これに頼ってないで忙しくても何か作ったりしないとなぁって思うだけ。最近忙しくてお昼とかついついこの2つで済ましちゃう。高校のときも一人暮らしだったけど、毎日昼休みに購買に並んでパン買ってたから弁当なんてほとんど作ったことない。学食も美味しくていいんだけどね
今日お昼食べてそんなことを考えながら友人と学内を散歩していたらこんな所を歩いた
特に何というわけでもないのだけど、ここを歩いていたら高校のとき通っていた道を思い出した。
これが高校のとき通ってた道。何となく雰囲気似てるよね。似てなくても似てると思って。
高校は山というほどのものじゃないけどちょっとした山の上にあって、隣に神道系の大学もあるから雰囲気がすごく好きだった。在学時は暑いとか寒いとか坂しんどいとか文句言ってたけどね。
秋になると、この道も少しは紅葉で綺麗になるんだけど、この坂を下った先にあるところはこれまた綺麗で友人とよく写真を撮った。
もしくはさっきの坂を下らずに、大学の図書館のある方に登っていく方向から歩くとこれまた落ち着くような雰囲気の道がある。
写真を載せ始めるとあれもこれもっていっぱい載せたくなってキリがないね。おまけに懐かしい思い出まで蘇ってきてついついぼーっとしてしまう。テスト期間は仲の良かった子と土日も学校に行って勉強したなぁとか、平日は実験室メンバーで週に一回はラーメン食べて帰ってたなぁとか、ほかにもいろいろ。
今の大学生活はとても楽しいのだけど、それでもやっぱり高校には高校にしかない楽しさがあって戻りたいというよりも、忘れられないなぁ。そんな感じ。まぁ卒業したのがまだほんの数ヶ月前のことだからはっきりしているだけで、時間が経てば記憶もこんなふうに思うことも曖昧になっていくんだろうけどね
変な話、記憶とか諸々が曖昧になったとき、それはちゃんと思い出になったんだなぁと改めて思う。
僕は記憶と思い出は同じものだけど別物で、記憶を整理して残ったものが思い出だと思っている。これも少し違う気がするけど語彙力がないので。とりあえず一旦こうしておこう。
なんて言うのかな。
小学校や中学校のときの記憶って今思い出そうとすると鮮明な部分ってほとんどなくて、部分部分で、曖昧になってる。というか、こんなことしたなぁ、楽しかったなぁということをメインに覚えていてそのとき誰がなんと言っていたかとかそのあとどうなったかとかあまり覚えてない。ただそのときの場の雰囲気と自分の感情メインで記憶されている。ある意味記憶が曖昧になっている。過去の記憶がそうなっていると、ちゃんと思い出になったんだなぁとほっこりする。
決して高校の記憶が思い出じゃないとか言ってるんじゃなくて、これも1つの思い出だけどそれを思い出になったと再認識するときがもう少し先にくるかもという話。
今の記憶が曖昧になるのは少し悲しいけど、常に大量の情報に追われている僕らが一つ一つを細かく覚えてたらいくら人間でも脳みそパンクしちゃう。人間、覚えておきたいことを映像としてUSBとかに保存できたらいいのにね。Twitterとか日記とかいろいろあるけど、どれも数年後に読んでも全てを思い出すことなんてできないし。
ちゃんと思い出になったんだなと思えるのなら、曖昧になっていくことも少しは寂しくないなぁ。
こうやって、その日あったことと書いてる途中に思ったことを書いてるだけだから文章構成ぐちゃぐちゃだし最初と最後で言いたいことは違うけど、所詮は日記だし高いクォリティなんて求めないしいいよね。それにこうやって書いてると思考が整理しやすいしスッキリする。残念ながら読み返すと頭の悪そうな文で読むのに疲れるけど。
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