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「無意味なことはやらせない」の意味。

昨日は、担当作業を受け持って四日目。

担当作業を受け持つために一度手放していた「検印」の役割も、昨日からは戻して、背負い直していた。

たくさんの役割を背負って、走り出そうとしていた、その朝、いきなり、問い合わせや調整依頼という、課長としての仕事がドカドカと割り込んでくる。担当作業がなかなか始められない。

少し遅れて、「作業待ち」の箱を見に行くと、箱が空っぽ。別の人がやってくれていた。「あー、ごめんなさい。ありがとう。やりますよ」と手を出したのだけど、「いや、大丈夫ですよ。ここで引き継ぐ方が効率悪いし。なさじさんも忙しいでしょうから」と、朝の処理を引き受けてくれた。なんだかチーム内が、より柔軟に動くようになってきたかも。そんな感じで、昨日は一日、みんなに助けられた。
 
 
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昨日のnoteで、「#無意味なことはやらない」、「#無意味なことはやらせない」ってハッシュタグをつけたのだけど。
無意味な指示がきたとき、結果、やっていないかというと、結局は、やっている。
例えば、会社の上層部から「課ごとに毎月、このレポートを作成し、提出せよ」って指示があったとしても、「何それ」ってなるのだけど、自分の中で意義付けをした上で、「〜〜と考えると意義はあるな」となれば、やる。
だいたいは、やる意味を自分で作り出して「やっている」


上司が、私に対して、目的も表さず、自分が出した指示の効果を省みることもせず、ただ指示を与えてくるのはうんざりなのだけど、ガチガチに理論で固められた上で「だから、やれ」って言われるよりは格段にいいか。

上司は空っぽの方がいいな、と最近は思う。

いつも読んでいただきありがとうございます。