「熱い人」は「古い人」だと思ってた。
私には、ゆき坊さんという友達がいる。
その友達は、私がnoteを始めた頃から、寄り添ってくれて、親身になってくれて、私を励ましてくれている。昨年11月、私が頚椎手術のために入院して心細い夜も、手術を控えた朝も、手術後の異変に落ち込む夜も、ずっとnoteで声をかけ、「応援団長」として、元気づけてくれた。手術の後遺症で左腕が不自由になったけど、リハビリで少しずつ良くなっていくことを、すごく喜んでくれて、私もそれが嬉しくて、また奮起してきた。
2月に仕事復帰し、仕事人としての私なりの考え方などをnoteで書くことが増えた。友達は自らの豊富な経験に照らし合わせながら、賛同してくれ、私の考えを、私の生き方を応援してくれた。「なさじがまま」と名付け応援してくれた。
その友達は一回り上のおじさんなんだけど、考え方が新しい。考え方が新しい人で熱い人って私の周りにはいなかった。「熱い人は古い人」だと私は勝手に思っていたけど、それは覆された。その友達は、新しい(柔軟な)考え方を持っているのに、熱くて、元気になる言葉をたくさん持っている。
同じく2月、母が突然体調を崩し、すぐに余命宣告を受けたときも、そしてその後一ヶ月半ほどで亡くなったときも、いつもそばにいてくれた。
ゆき坊さん、泣いてます?
ただね、ただ、そういう友達を煩わしく思う人もいるかもしれない。煩わしく思ってなくても、ゆき坊さんが勝手に「煩わしく思われちゃったかな」などと、無駄に心痛めることも多かったのではないかと、勝手に想像している。
そんなことを考えていたら、こんなnoteが出ていた。
友達は最近、ここからいなくなっちゃうかもしれないという騒動を起こした。ご本人は本当に悩んだのだと思う。本当に悩んだのだと思う。でも、私は「ご本人の決断を尊重するより他ない」としか思わなかった。冷たいかもしれないけど、「辞める」と聞いたときは、怒りも悲しみも、悔しさも、何も起こらなかった。(寂しさはじんわりきたけど)
結果、辞めないと知った瞬間は、、、嬉しくて涙が出そうになりましたよ。
でもなぁ~、
今も、友達は苦しんでるかもしれない。
少し休んでもいいですよ。心がまともだと見せるのは、かなりしんどいはずですから。
「辞める」となったとき、物理的に何かに時間を費やすために、何かに専念するために、何か自分の納得いく生き様に近づくことに集中するために、noteに注いでいた時間を手放すのだな、と思っていました。
「辞めない」とされたとき、そういうことではなかったんだな、と思いつつも、新しい挑戦は迷走しているのかな、と勝手ながら心配したりもしました。
「辞めない」となったときから、なんだかこんなお手紙が書きたくなりました。だらずさんのイラストにも感動しました。ゆき坊さん、今までありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
同じ丑年の友達より。
いつも読んでいただきありがとうございます。