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学生時代の大切な学び

卒業して10年が経過するけれど、学生時代の実習日誌を振り返ることがある。
当時は精神科病院と多機能(B型+自立訓練+相談事業)事業所の2ヶ所で実習の受け入れをしていただいた。

それぞれに思うことはあったけれど、やっぱり最初に体験した精神科病院での職場実習は大きな経験になっている。
精神科病院に入院されている患者さんに対して感じたこともあるけれど、そこで実習担当として関わってくれたワーカーが今考えても丁寧に接してくれていたと思う。
当時の私は自分自身に自信がなく、人との関りも全く得意ではなかった。意見を言うことも、質問をすることもとても苦労したと記憶している。

そんな自分でも感じることは多くて、それを必死に文章化しようと悩んだものです。
実習指導者は忙しい勤務の中、ほぼ毎日1時間くらいは時間を取ってその日の私を振り返ってくれました。
そこで言われた言葉ひとつひとつは忘れてしまったけれど、毎日気持ちが整理されて、あるいは自分自身の課題を感じながらその日を終えることができたと記憶しています。

特に実習の最初の頃、「このままでいいの?」と問われたように記憶しています。
というのも、患者さんに話しかけることがなかなかできない状況だったので、そのことを指摘されたのですね。
このまま受け身で実習を終えることは簡単だけど、本当にそれでいいのかという問いだったと思います。正直胸が詰まる思いで、恥ずかしいやら悔しいやら、評価が下がるとか実習の単位がとか、いろいろなことが頭をよぎりました。
答えは当たり前ですが「いいえ」と回答したと思います。「じゃあ、やらないとね」と釘を刺されたのだと思います。逃げ場を塞がれたというか、追い詰められた心持でした。

その翌日からは一歩を踏み出すことの連続でした。自分から患者さんに声をかける、看護師さんに声をかける、ひとつでも多く質問する、忙しそうでも声をかけてみる、体調が悪そうでも近くにいってみる、無視されてもあいさつをする・・・。
「いつもならここで止まる自分」をとにかく自覚しては前に進めようと踏み出しまくりました。
忙しい職員や体調悪そうな患者に話しかけること自体がよかったのかは正直微妙ではあるけれど、本当に自己中心的に評価するならば、これまでの自分をどんどん壊せた点においてはこれ以上ない機会と経験だったと振り返ります。

次に実習中盤には「明日からどうしたい?」と聞かれることもありました。
それまでは閉鎖病棟、開放病棟、認知症病棟、デイケアと数日刻みで回るカリキュラムでしたが、それ以降は希望に応じて組むと言われたわけです。
自分が「正直苦手な雰囲気」と感じるところを選ぼうと思いました。閉鎖病棟は体調が悪い方が多く、声をかけても反応が少なかったりしたので、正直時間は長く感じるし、どうしたらいいのかという感覚が強い病棟でした。
デイケアは比較的元気な方が多いものの、常にワーカーがいて視線を感じる(自意識過剰)し、レクリエーションなど自分自身が苦手なものに取り組むこともあるので苦手と感じる場所でした(何しに来たのこの実習生)。

で、選んだのはその2ヶ所。
閉鎖病棟ではどうしても気になる患者さんがいました。いつもナースステーションの前の床で転がっている患者さん。あの人はどういうつもりで寝転がっているのか、どうしても気になってしまった。それから20代くらいの男性患者さん。同年代の彼はどういう想いで入院しているのか。
デイケアではほとんどが中年以上の方で、毎日何かしらのレクをしている。中には鬼ごっこというプログラムもあった。いい歳をしたおじさんたちが鬼ごっこ・・・何を感じているのか、どういう意図があるのか・・・。

というわけで実習後半はこの2ヶ所で実習をしたわけで。
閉鎖病棟ではこの2人に話しかけることができました。どういうつもりで・・・ということはわからなかったけれど。唯一返ってきた言葉が「私、くさいでしょ」という言葉で、それが何とも悲しくなってしまって、受け取るだけで精一杯でそれ以上は聞けなかったけれど、なぜだかその方のことは今でも思い出す。
20代の男性は母親に対して罪悪感を吐露されることが多かった。「願いが一つ叶うなら、母親を幸せにしたいですね」と言われていたのは今でも覚えている。
デイケアではおじさんたちの想いは結局聞けなかったし、鬼ごっこの意図もわからなかったので実習としてはどうなのかということになるけれど、大人と話す機会が少なかった私にとってはいい経験になった。

実習自体、何を持って成功・失敗というのか。
受け入れ先に迷惑をかけては失敗でしょうが、学びという基準での成功・失敗の判定はなかなか難しいように思います。
ただ、学校での実習発表では同級生・先生方から「成長したね」「変わったね」と言われ、担任の先生からは「感動で泣いちゃった」と言われたし、自分の中でも変わることができたし、処理しきれないにしても学びの材料が得られた感覚は残ったので、とても有意義な経験をさせていただいたと思っている。

何より今振り返っても「なるほど」とか「やっぱそうだよな」と思えることを日誌にコメントしてくれた、毎日振り返ってくれた担当ワーカーには本当に感謝の気持ちと尊敬の気持ち、指導者として目指す姿を感じている。
直接伝えることは難しいけれど、節目節目で感じていることだ。ありがとうございます。

みなさんの大事な学びはなんでしょうか。
それはいつの時代のことで、どのような人が関わったのでしょうか。
こういった体験をひとつでも持っている自分は恵まれているなと感じている。

久しぶりに日誌を開いてみた感想でした。

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