amazarashiについて語りたい③~まず聴いてもらいたい曲~
amazarashiが好きだ。
特に歌詞が心に突き刺さってくる。寄り添ってくるなんて生易しいものではなく、遠慮なく突き刺してくる。
それでも、その歌に救われている。真正面から本当のことを歌っているように感じる。勝手ながら自分の経験と重なる部分が多いのです。
今回はその中でも、youtubeで公開されている楽曲をいくつか紹介させていただきます。
絞れるわけはないのだけど、そして別にファンが増えてほしいわけでもないけれども。
この言葉を知らないのはもったいない、と思えて仕方ないので、曲と、特に好きな歌詞をまとめます。
以下、歌詞は太字で表現させていただきますね。
季節は次々死んでいく
この曲は私にとっての出会いの曲。当時はアニメ『東京グール』のEDでした。
疲れた顔に 足を引きずって
照り返す夕日に 顔をしかめて
行こうか戻ろうか 悩みはするけど
しばらくすれば 歩き出す背中
そうだ行かねばならぬ 何はなくとも生きていくのだ
僕らはどうせ 拾った命だ
ここに置いてくよ なけなしの
拝啓 今は亡き 過去を想う望郷の詩
最低な日々が 最悪な夢が
始まりだったと思えば 随分遠くだ
どうせ 花は散り 輪廻の輪に還る命
苦悩に塗れて 嘆き悲しみ
それでも途絶えぬ歌に 陽は差さずとも
振り返れば最低な日々が遠くに在る。多分、その都度絶望したのだけれど、それでも進んできた道のりがある。苦悩や嘆きを抱えても、それでも歩みを止めなかった。
求めるような陽が差さず、それでも。それでも、何はなくとも生きていく。
これと言ったものがなくても、それでも歩いていく。それでいいんだと思える。
それは寂しさや悲しみ、切なさを内包する納得だけど、そういった過程を踏んだ納得にこそ意味を見出したのが私です。それでいいのです。
空っぽの空に潰される
弱音を吐いたら楽になるか 泣くだけ泣いたら楽になるか
死にたいと言えば気持ちいいか そこから踏み出したくはないか
どっかに忘れ物をしたよ 教室か母のお腹の中
恒久的な欠落を 愛してこその幸福だ
楽しけりゃ笑えばいいんだろ 悲しい時は泣いたらいいんだろ
虚しい時はどうすりゃいいの 教えて 教えて
暗いところからやってきて 暗いところへ還っていくだけ
その間に何ができるの 教えて 教えて
空っぽの空に潰される
ずっとその場所にいることは絶望的だったけれど、それでも甘い誘惑があった。
死にたい、消えたいという言葉に陶酔している自分はいなかっただろうか。
この胸にある空白はどこで手に入れた、あるいは失ったのか。先天的か、後天的か。
それごと受け入れてしまいたい。けれどそれはとてもとても、上手くはいかなかった。
改めて、「暗いところからやってきて暗い所へ還っていくだけ」の絶望感半端ないな。
でも、その絶望の間に何ができるだろうかと、そう考えるからこそ、凄絶な輝きに見えるのかもしれない。
ジュブナイル
「人間嫌い」っていうより「人間嫌われ」なのかも
侮辱されて 唇噛んで いつか見てろって 涙ぐんで
消えてしまいたいのだ 消えてしまいたいのだ
君が君を嫌いな理由を 背負った君のまま 成し遂げなくちゃ駄目だ
僕は讃える 君らのジュブナイル 向こう見ずだっていい
物語は始まったばかりだ
自分を好きになるよりも、嫌いな理由を背負ったままでやり遂げてみせろと。
そうしなれば駄目だと。
きっとそれは、嫌いな理由を含めて自分自身だからなのだと思っている。
否定したまま、それを引きずって極めろという、とんでもない応援歌だな。
この曲は高校生の時に出会いたかった。
つじつま合わせに生まれた僕等
不健康な心が飢えて 悲劇をもっとと叫んでいる
大義名分ができた他人が やましさもなく断罪する
人殺しと誰かの不倫と 宗教と流行の店と
いじめと夜9時のドラマと 戦争とヒットチャートと
誰もが転がる石なのに 皆が特別だと思うから
選ばれなかった少年は ナイフを握り締めて立ってた
匿名を決め込む駅前の 雑踏が真っ赤に染まったのは
夕焼け空が綺麗だから つじつま合わせに生まれた僕等
これらを比較するところがえげつないな、と思う。
そして少年は思い至ってしまったのか。
誰もが「特別」を望む瞬間があるけれど、そんな些細な絶望が、人を変えてしまうこともある。その人にとっての絶望の大きさや、世界の広さで、とても簡単に転げ落ちてしまう。
ところで、この曲、youtubeに公開されているものは、曲が始まる前に朗読がある。
amazarashiのライブではよくある手法。ポエトリーリーディングというやつ。
つじつま(朗読部分より)
過去から見れば 今日の僕が合わせるつじつま
五分四十秒答え合わせ 過ぎた時間こそ笑え
間違ってなかったと言うための今日だ
逃げ道でもない 感傷でもない
凍える夜にすがりつける温み
そういう記憶だけを思い出と呼んで
帰らぬと決めたら また旅路へ戻れ
今日だって止まない雨 運命と呼ばれる全てを疑え
降らば降れと天を睨み付け どうか挫けることなく光へ進め
強烈に背中を押してくれる、いや、押し出してくれると言ってもいいくらい。
どこまで行っても、今日という日はその後の過程に過ぎない。
そう思えば、今日の後悔も、屈辱も、失敗も、恥も、悲しみも、何もかもがその後の出発の理由になる。
理由にしていく。
ロングホープフィリア
時を経ては変わってく 街並みも 友達も
大抵は離れてわかる 寄る辺なさは瞭然たる感傷
ましてや自分 僕は僕を離れられぬやましさを背負って
だから友よ 見届けてくれ
変わったのじゃなく 変えたのだ
変わったのではなく、変えたのだ。
本質的には変わっていないのかもしれない。周りはどんどんと変わっていく。その方が楽なのかもしれない。自分の選んだ道はなぜこんなにも苦しく、険しいのか。変わった周りを咎めるつもりはないし、変われない自分に辟易とすることもある。
だから、変えた。変わったのではなく。変えたのだ。楽のためではなく、合わせるためでもなく。変えて、それでも変わらない部分がある。
それが自分であって、目指すべき希望なのだと。
まとめ
改めて、いいなぁ。
ズタボロになって、自分の決めてきた道のりを疑い続けて、「それでも」を繰り返して進んでいく。その自分に呆れながらも、周りから顰蹙を買おうとも、捨てられない自分がいる。
自分と重ねてしまうのは、大変におこがましいし、一方的なシンパシーなのだけれど。
それでも、秋田ひろむの書く歌詞と、ライブで叫ぶように歌う彼の声に心が、魂が震える。
観測できないけれど、比喩ではなく、多分、物理的に震えているのです。
今後もまとめるぞ。もっと語りてぇんだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?