見出し画像

見立てを歪ませる要因

見立てについて以前、下記のような記事を書きました。

見立ては支援をおこなう上で重要な視点、支援者の力量が出る要素だと考えます。

最近扱っているケースで、この見立ての難しさを改めて感じることがありました。
我ながらいつもの感覚じゃないな、と思ったのです。

見立てが歪んでいる感覚。
これは何なのだろうな、と考えたので、改めて整理したいと思います。

ケースの経過

今回のケースは、本人の転職相談に端を発します。
学校を卒業して就職したAさん。学生の頃に初回面談をし、その後就職。
当初から職場定着のための支援をおこなってきました。

初回面談では、出席が安定せず、特に1年生の頃は不登校に近い状態だったことを把握しました。2~3年生の頃にも、数か月単位で学校を休んでいます。
在学中の職場実習は10日間の設定でしたが、最初の2日でダウン。その後再開されず、卒業に向かいます。
このまま就職は厳しいのでは?と思いながらも、結果としてAさんは実習先に就職(学生の就職についてはまた別記事にまとめたい)。

現在まで3年が経過しますが、毎年数か月単位で休んでいます。
直近では半年の休職。先月勤務を再開しましたが、勤務日数は法定雇用率の算定基準にならない週10時間未満です。
これを「職場の理解」や「手厚い配慮」と表現するかは非常に難しいところですが・・・(実際店長はとても丁寧で、優しく接してくださっています)。

そんなAさんが最近「相談したいことがある」と切り出します。
内容は冒頭の「転職」です。
現在の職場の業務がどうしても苦手で、できない自分を許せないとのこと。
そこで転職を知人から提案され、相談に訪れました。

私からは転職の他の選択肢として、福祉サービスの利用を提案しました。
すぐに次の職場に行くのではなくて、準備をしてから考えてはどうか、と。
ここでの私の見立ては、おわかりの通り、「現状のままでは就労不可」というものです。

そして、いくつかの選択肢を提示します。
その中のA型事業所が気になったようで、数件見学をおこないました。

見立ての歪み

すでに見立てに歪みが生じているように思います。
「A型事業所は妥当か」という点です。

見立ては事実、根拠に基づいておこないます。
現在の本人の状況としては、週10時間未満の就労、それさえも不安定な状況、気持ちが落ち込むと自分で対処できず数か月はひきこもる・・・といったものです。
その他にもいろいろな事実がありますが、これだけでもA型の利用に耐えられないように思います。

私が本人に挙げた選択肢は、A型の他に、移行支援事業所、自立訓練です。
本人自身が挙げたものが他に、一般就労とB型事業所でした。
それぞれのメリットやデメリット、その後の見通しを伝えたところです。

上司と話した中で、上司からは地域活動支援センター(地活)が妥当ではないかという指摘でした。
たしかに、私もまず頭に挙がったのが地活でした。
現状をみると、本人が行ける時に行く場として地活が妥当な見立てだと思えます。
ですが、それは選択肢から外しました。この理由が、今回の歪みの原因だと考えます。

歪みの原因は、「本人に対する期待」、「本人の可能性を信じたい」という私自身の想いです。
Aさんはまだ20代で、学校を卒業して1つの職場しか知りません。
どこかで適切な訓練や支援を受ければ、一般就労は難しくてもA型事業所は行けるのでは?というか、そうなってほしいと信じたかったのでしょう。
どこかでそう思っていたので選択肢に挙げました。挙げながらも「実際は難しいだろうな」というダブルバインド状態でしたが・・・。

何もB型や地活利用が他に比べて劣っている、というわけではありません。
それらの利用が本人にとってちょうどよい働き方、過ごし方であるということがあることは理解しています。
一方で一般的には(私の中ではということですが)、それらは一般就労やA型事業所に比べると負荷は軽く、収入も低いと認識しています(もちろん例外はあります)。

まだ若く、訓練の経験もないAさんを、負荷が軽く、収入も低いサービスにつなぐよりも、それはまだ先の選択肢として残し、まずはA型に挑戦する道すじを提案したかったのです。

さらに言うと、地活につなぐことでひきこもりを助長しないか、とも考えました。
これは完全に私の偏見ですので、失笑ものとして聞いてほしいのですが、地活は「好きな時に行ける」という良さはあるものの、「行かない状況が続いたときに支援者はどこまで突っ込んでいくだろうか」と思ってしまいました。以前いた法人の地活では「ほとんど登録だけで利用の実態はない」という方が少なくなかったイメージが残っていたからですね。

一方で自立訓練の場合は、原則2年間で利用目的の達成を目指します。
その2年を有効に事業者も活用し、報酬を得たいのでは?と考えました。
つまり、在籍するだけでなく、通所させないと報酬は得られない(という認識ですがいかに)ので、通所を促す、あるいは通所が困難と見切れば利用終了するだろうと思ったのです。
そうなれば次には地活に・・・と刻める、チャンスというかステップを踏む機会を多く提供できるのでは?と。

この偏見には、「つなぐ先の支援者を信頼していない」という視点が多分に含まれますね。「ちゃんと見立てて、ダメなら次へつないでくれるかな?」という。
本当に、自分はどれだけ偉そうなのかと振り返ります。

見立ての限界

と、ここまで考えて、自分は本人の可能性に期待して、先の先まで見立てようと考えていたのだと整理しました。

「A型くらいにはたどり着いてほしい」という私の希望と

「ここでダメならこうして・・・それでもダメなら次はこうして・・・」という可能性を網羅しようという謎の万能感

ふとそう思い至り、「待て待て」と。
自分がすべきは、まずAさんの目標を明らかにして、現状を整理して、その目標までの道筋の選択肢を提示し、本人の選択を支援することだろうと我に返ったのが帰宅中の車内でした。

その道筋にしても、あくまで「現在のAさん」に対してのもので、例えば次の行き先が自立訓練だったのであれば、そこで変化していくAさんはそこの支援者が見立てて、次の選択肢を提示すればいいでしょう、と。
人は変わっていくもので、その人を取り巻く環境も変わっていくものです。
自分の手を離れたその先までコントロールしようというのは、改めて文字にして恥ずかしいことでした。

まとめ

見立てがなーんか上手くいかない。いつも以上に提示する情報を迷っているなー。
そんな風に思って、その理由を考察していました。
今のところ、見立てが歪んだ原因は、本人に対する期待やこうなってほしいという私のエゴだったのだと整理しています。

結局、今の私にできることは後にも先にも、目標の把握と現状、つまり課題の整理、課題をクリアする方法のその第一歩の提案だと思い至りました。

支援者が利用者に対して期待すること、可能性を信じることは悪いことではありません。と思います。
でも、支援できる範囲・距離にも限界があることは事実。
これらのバランスが崩れると、期待するあまり足元がおろそかになるのかもしれません。

みなさんは利用者に期待していますか?可能性を信じていますか?
私はそうできるばかりではないのが実際です。Aさんが40代や50代、何度も失敗してきた人なら、もっと足元を見たでしょう。

期待すること、可能性を信じることとのバランスの取り方は今後も学んでいきたいと思います。

最後に、上記につらつらと書いた各サービスへの偏見は本当に申し訳ないと思います。しかし考える上で、自分の中でどんな検討がされたのかは正面から捉えなければ整理ができない人間なのです。
重ねて謝罪いたします。今後見学に同行する際には、しっかりと話を聞いて来ようと思いますし、可能であれば実際のところを知っている方は教えてほしいところです。

いやーいつも以上に取っ散らかった感じ。
でも少し冷静になったと思います。

まずは次回の、本人と家族との面談に気合を入れようと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?