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支援のハードルについて

最近、私は支援を提供するにあたって、ハードルを高く設定しているのだろうか、と思うことが増えてきました。
要因のひとつは上司の異動。新しく着任した上司と、支援を受ける/受けないでずれが出ているように思ったところです。

例えば、うちのセンターに来所してもらって面談をおこなうという場合。
本人が生活面での困りごとや、コロナに対する不安を聞いてほしいということだったので、本人希望と言うことなら業務時間外での面談を提案したところでした。
提案に対して、「体力的に厳しい」と返ってきました。また、「業務終了後に面談できればありがたい」とも。

確かにうちのセンターは最寄駅からバスに乗らなくてはいけませんし、その方の就労先から公共交通機関での来所となると、開所時間を過ぎてしまいます。
一方で、その方は自宅から30分くらいかけて通勤しているし、毎日6時間程度働いているので、「体力的に」と言われてもあまりピンとはきませんでした。

つまり、それだけの手間をかけて来所するほどの困り感ではないのかな、と感じてしまったのです。
できれば駅周辺で面談できないか、との希望が出されました。

わかる、わかるよ。自分も土日の休みにわざわざ相談に行くのもだるいなと感じると思います。
一方で、今回のようなケースが数件、数十件と出てきた場合、すべてに同じように対応できるかと言われると、どうだろう。原則は来所面談だと思いますし(ここは根拠曖昧ですが)、障害や病状が理由ではなく、本人が「面談したい」と感じているという筋合いからして、原則的な来所という手段を取るのが妥当かな、と感じました。

ですが、一刀両断するのも角が立つと思ったので、「念のためどこまで動けるか確認しますね」と持ち帰り。
上司に報告して、温度を測ることにしました。
上司の温度からすると、「確かに休みの日にここまで来るのは面倒だから、駅近で対応してもいいんじゃない」というところ。

個人的には上記の理由から、疑問も生じたけれど、「了解しました!」とイエスマン。

また、しばらく相談がない方には支援希望のアンケートを送付することになっているのですが、そこでもずれがひとつ。

一応委託元からは、「連絡が取れなかった方は登録を終了」とされています。
2~3年連絡を取っていない人に送付すると、やはり返信がない方もいます。
そういった方には念のため電話で連絡を入れるのですが、電話に出ない方もいらっしゃいます。
自分は電話に出ないならそこまでかな、と思うのですが、上司は「念のため訪問して確認」という考え。

理由は納得できます。何かないか、就労ではなく生活面での課題などは発生していないか、安否確認を最低限おこなったという記録を残す。
実際困っているようであれば支援に繋ぐ。
そう、福祉ってこういうものだと思います。嫌味ではなく、本当に。

自分はそういう考えが頭を過るものの、「いや、電話に出ないし折り返しもないし、ここまでしてるのに反応ないんならもういいでしょ」くらいに行動を止めてしまいます。

ナカポツは就労支援機関。制度の縦割りで考えると福祉施策(総合支援法)ではなく雇用施策(雇用促進法)。
ナカポツは福祉ではない。そう言う方もいるし、自分も言われてきたし、そういう側面がある事業だとやはり思っています。

でも自分たちの根幹には福祉の考えが、やはりあるべきなんだと思います。
最近、自分の中にはそういったものが体験として培われていないと感じて、「ああ、何やってきたんだろう」と思うことが多々あります。

就労支援、それもナカポツの中のみでやってきたからでしょうか。
いやナカポツだけでやってきた人の中にも、いわゆる「福祉」が根付いている人はいるでしょう。

自分はなんでこの仕事に就いたんだっけな。なんで資格を取得しようとしたんだっけな。
それはたぶん、困っている人の力になれたらいいな、と何となく思ったはずなんです。
でも今は、「うちの支援か、そうじゃないか」という思考の中に、この想いはそこまで強く存在していません。

ナカポツというものを捉え直すべきか。
自分の中の福祉を今一度確認すべきか。

「うちじゃない」だったら「どうやったらうちで受けられるか」を考える。
無理に受ける、ということではなくて。
受けることが本人の不利益に繋がるのであれば他の支援に繋げる。

もう少し、自分の中のハードルを考え直す時期なのかもしれません。

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