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amazarashiについて語りたい~アルカホール考察~

amazarashiの描く世界観の考察を公開するのは無粋だ、と我ながら考えることがある。
けれども、どうでしょうか。やっぱり人それぞれの解釈を聞いてみたいし、私の解釈も聞いてみてほしいじゃない。下書きから引っ張ってきました。

『アルカホール』はアルバム『ボイコット』に収録されている。
物悲しく、陰鬱な雰囲気の曲です。とてもとても胸を打たれる、特に好きな曲。
私はこの曲を聞くとどうしても、同じくamazarashiの曲である『自虐家のアリー』との関連性を感じてしまう。
結論から言うと、この『アルカホール』の主人公である「私」は『自虐家のアリー』の「母」なのだと考えている。

今回はその理由や、この曲の好きな歌詞についてまとめていきます。
考察というよりも妄想。
アリーについては以前の記事を参考いただきた。
また今回も読者の皆様に在られましては、この2曲の歌詞は既知のものとさせていただきます。
文中の太字は歌詞の引用部分だと理解してください。

アルカホールについて

アルカホールの描写から私の曲に対するイメージを整理してみる。

「私」は今、とても幸せとは呼べないような状況にいる。

軽薄な喧噪と耳つんざく音楽
その波にさらわれて 全部忘れたはず
こんな夜の孤独とか いつかの綺麗なキスとか
夜遊びの冬の匂いとか 笑ったはずの季節とか
朝方打ち上げられて 顔を覆って泣いてる

記憶の死骸たちでアクセサリー作って
「綺麗でしょ 綺麗でしょ」 ってずっと泣いてる
あの子は誰だっけなんて私に聞かないで


ひとりではないのに、孤独がここにはあった。
愛したはずの彼はおらず、「私」は「あの子」を抱えている。
こんなはずではなかった。彼は「私」を愛してくれていたし、「この子」と3人で幸せになるはずだったのだ。

「私」は強い人間ではなかった。
ママは「私」を「天使のようだ」と言ったけれど、「私」はそうはなれなかった。
会社には上手く馴染めず、その代わりに夜の世界に光を見出した。
酒を飲むと楽しい。みんなが笑ってくれる。世界は「私」を許してくれる。
酔っていなければ、「私」は上手く笑えなくなっているけれど、きっとそれは気のせいだろう。

ママ、ごめんなさい。「私」はあなたの望むような綺麗な人にはなれなかった。
「私」の世界が白んでいく中で、始発電車の脱線事故のニュースを聞いた。間引かれるのは「私」のような人間であればいいと思った。


2つの曲の関連性

アルカホールの「私」と自虐家のアリーの「母」の共通点を考えた。
ひとつは、男性への依存とも思える強い愛情だ。

アルカホールでは以下のような描写がある。

彼はキスした手首の傷に 朝日に素面の顔は気まずい

口を塞いで黙らせて 今だけ見ろって

口を塞いで黙らせて 全部夢だって

「私」の現状はとても幸せとは言えない状況にある一方で、記憶の中にある特定の男性に対して向けられている言葉だ。
その記憶に縋って、できればその時のように今の状況から救ってほしいという切実な想いにも感じる。

アリーの母も同様に、目の前にいるアリーよりも、記憶の中の夫(?)に対して想いを巡らせるシーンがある。

私は彼女らに対して、記憶の中にいる男性を想い、その男性に救われたいと願っている人物像を思い描く。一般に「依存的」とも言える状況だ。
彼女らは現状を自分の力では到底打開することはできず、「私」と彼の記憶に浸っていたいと思っている。

そのための「アルカホール」が「私」には必要だった。
そのために「海の見える家」から出ていくことが「母」にはできなかった。

記憶の死骸たちで アクセサリー作って
「綺麗でしょ 綺麗でしょ」 ってずっと泣いてる

この「記憶の死骸」は貝殻のことではないか。
海が好きな彼と、貝殻を拾って、「私」は少女のようにはしゃいだ。
彼は、「私」が自分を罰した証に口づけをして、許してくれた。
やさしくやさしく、壊れ物を扱うように抱きしめてくれた夜があった。
いつか、こんな風に海が見える家に住もう、と彼は月明かりに話をしてくれたのだろうか。

好きなポイント

いわゆる「エモい」というやつ。
アリーとの関連性があるという妄想ありきでのポイントになるのだけれど。

アリーを聴いた時には、アリーの悲しさを全面に感じたわけですが、このアルカホールとの関連性を感じた後にアリーを聴くと、また違って聴こえてきた。
アリーの母もまた、何かを抱えていた人なのかもな、と感じたのです。
そして既に取り上げた歌詞にあるように、「私」もママから何らかの期待を込めて育てられた、もしくは真っ当に「天使のように」扱われてきた。にもかかわらず、母に何も返せていない自分を感じていたのかもしれない。

そういった愛情への飢えみたいなものが連鎖しているのが救いがない。・・・だがそれがいい(やべえやつ)。


まとめ

アルカホールの歌詞にはいろいろと海を連想させるようなものが多いな、と思った。
そして、虐待の連鎖ってものがあることを私は知っている。
まあ虐待されたら必ず虐待するとは思いません。逆もまた然りで、虐待していた人が必ず虐待された経験があるとも思いません。連鎖することがある、というだけ。
そうした事例がアリーに当てはまるとしたら、と考えた時、妙にこの2曲の親和性を感じたのでした。
そこから妄想を膨らませ、現在に至ります。

それにしてもアリーの「父」やアルカホールの「彼」は一体どうしたのか。
まあようするにヤリ逃げを決め込んだのかな、と思っている。
簡単に言えば、どうしようもない男に上手くやり込められて、その一夜に心を奪われてしまった「私」という感じなのかな、と。
救われてほしいな。アリーも私も。

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