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大人になるということ

大人になるということは
どういうことだろうか

思っていた●歳と違う

13歳の時に見ていた16歳はとても大人に見えたのに、いざ16歳になるとまだまだ子供だなと思ったし、16歳の時に見ていた20歳はとてもとても大人に見えたのに、いざ20歳になるとやっぱりまだまだ子供だった。
この「思っていた●歳と違う原理」を繰り返して、私は今、“まだまだ子供な22歳”を生きている。
そして22歳になって思うことは、この世界に「大人」なんていないということだ。

大人の皮を被った子供

22歳という年齢は、側から見ればもう社会に出ている「大人」という分類にカテゴライズされるが、私の心の中はまだまだ「子供」である。小学生くらいの子供が大人の着ぐるみを着ているような気でいる。私だけがそうなのかな?と心配に思う時もあれば、結構みんなもそう思っているだろうと安心する時もある。
この世界に大人なんていなくて、子供がただひたすらに体だけ大きくなって、心や気持ちは変わらずに大人という分類にカテゴライズされていく。

じゃあ大人になるとは?

この問いに戻ってきてしまった。問いの答えをを提示しないとして定評がある(ない)私のnoteでも、問いに戻ってきてしまうというのはなかなかない経験だ。

実を言うと、私は1つだけ、大人になるということを知っている。
それは「ご飯を腹8分目で抑えるようになる」ということ、つまり「過去の経験から先のことに対して慎重になる」ということだ。

私は以前、先のことを考えずに腹12分目までご飯を食べて、苦しくて動けなくなるということを度々繰り返していた。おそらく大学1.2年生くらいまでお腹がパンパンになるまで食事をしていた。けれども最近になって、腹12分目まで食べる=苦しくなるということを覚えてきて、お腹がはちきれるほどご飯を食べるということがパッタリなくなった。

他にも、恋人との電話を例にあげると、以前は自分のワガママを押し付けて恋人が疲れていようがなんだろうが電話をして、あまり良くないムードになることが度々あったが、今はそんなことをしても何も良いことがないということを覚えたので、ワガママを押し付けるようなことがなくなった。

このように、過去の経験から学び、何かをしなくなったり慎重になったりすることが大人になるということ。(なのだと私は思う。)

大人になるのは嬉しいしワクワクする。
だけど、昔のなりふり構わずご飯を食べて、なりふり構わずワガママを言う自分が、少しずついなくなってきてしまっていることがちょっとだけ寂しいよ。

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