男女のパワーバランスの天秤

私は海外アニメが好きなのだが、ここ10年くらいであきらかに面白くなくなってきていると感じる。

多くのアニメ作品のなかにポリコレやフェミニズムの思想が入り込み、そのような思想のプロパガンダ的なシナリオや表現になってしまったからだ。

ブレイベストウォリアーズという作品では、ヒロインが男女差別に憤慨し、男女差別を平気で行う悪い男を「男女平等パーンチ!」と言ってやっつけていた。もちろんものすごくつまらない回だった。

アウルハウスという作品は、主人公の女の子がバイセクシャルらしい。性的マイノリティを悪くいうつもりはないが、なぜ今?なんのために小さな少女がバイセクシュアルで、わざわざそれを作品に織り込む意味はなんであろうか。

アナと雪の女王2では、エルサは自分がやらなければならない社会的責任を全て投げ捨てて野へ下ってしまった。まあ、心理的には野生動物が自然のなかでしか生きていけない、というようなものと同じではあるだろうが、エルサは女性なので、女性の解放を絡めてあるのは一目瞭然だった。

スーパーヒーローガールズという作品では、スーパーパワーを持った女の子しか出てこない。パワーパフガールズもスーパーパワーを持った女の子しか出てこないんであるが、前者にはポリコレの流れを受けて誕生したような雰囲気がある。

カーズ3では明らかなフェミニズムを感じた。マックイーンという男性が築き上げて来た地位に、女性の弟子が座り込む。というか、マックイーン自らがライバルとの闘いをあきらめて、女性にその場を託し明け渡すのだ。

今まさに全世界でスーパーマリオの映画が公開され大ヒットを飛ばしているが、攫われるのは弟のルイージで、マリオとピーチ姫が助けに行くという展開になっている。

昨今の世の中、女性が攫われ、男性に助けられるなどあってはならない事なのである。(本当は男に助けてもらったり、面倒な問題を解決してもらいたいくせに…)

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男と女、そのどちらかにパワーバランスの天秤が傾けば、その揺り戻しは大きくなる。

今、世間は女性の意見に重きを置いている。

重きを置きすぎて、トランス女性の言葉ばかりが重用され利用され、女性のスペースにトランス女性を自称する人達が平気で入り込み性犯罪を犯している。彼らが言うには「自分たちはトランス女性だが同性愛者なので性愛の対象は女性なのだ」とのことだが、それが真実でも女性をレイプしてよい事にはならない。

ポリコレだジェンダーだ平等だと叫びまくったせいで、生まれながらの女性の言葉がすり潰されてどこにも届かないようなおかしな状況になってしまっている。

男女の天秤は揺れはしても、トータルで見れば釣り合っているのがよい。

今の世の中が、かつての男性優位世界からの揺り戻しなのだとしたら、次の世代の女性がどんな報復を受けるのかわからない。

調子にのるのもほどほどにしておかないと、トランス女性問題のようなことがもっと起こるはずなのだ。

自分たちと、未来の女性達の首を絞めるようなまねは一刻も早く辞めていただきたいものだ。