「見かけだけで判断してはならない」山高故不貴

山高きが故に貴からず
―山高故不貴―

[原文](実語教)
山高故不貴、以有樹為貴。

[書き下し文]
山高きが故に貴からず、樹あるを以(もっ)て貴しと為す。

[原文の語訳]
山はただ高いから尊いのではない、立つものがあるから尊いのである。

[解釈]
どんなに外観がりっぱであっても、内容が伴わなければ優れているとはいえない。つまり物事は見かけだけで判断してはならないということです。

どの山でも山岳信仰の対象となっている訳ではなく、何らかの理由がその山にはあるからです。「樹」は木や植物という以外に「立つ・設ける」という意味がありますから今回の一文、現に岩山であっても尊いとされいる山があることから一概に樹木とは解釈できませんでした。岩山でも所々に木が立っているのをみると風情があってよいですしね。

高い塔であっても、窓もないようでは誰も上がってみようとは思いません。「窓があって見晴しがよく、遠くが望める」という価値理由があって人は上がってみようと思うのです。

外観が立派でも、中に入っているものが粗雑ではいけません。見掛け倒しではなく実質が大事なのです。

学習ノートでも字がきれいでも、一見するときちんとまとめられていても、本人がきれい書くことだけに集中して、それで満足してしまってはいけません。多少乱れていても、本人が覚えやすいように書かなくては意味がないのです。

できる人は身なりもきちんとしていますが、しっかりとしたものを軸としてもっているから人の上に立つことになるのです。

高価な商品や料理でも内容に満足できなければリピーターは見込めません。プレミア感にしてもちょっとした不便さがあってもそれを上回る魅力があるから需要があるのです。遊戯関係に関しては自分は理解できませんが...。

大きな目標を掲げても、実が伴わなくては意味がありません。移り気なトップには困りものです。

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