「固執しすぎず融通を利かすように」膠柱而鼓瑟

柱に膠にして瑟を鼓す
―膠柱而鼓瑟―

[原文](史記 廉頗藺相如列伝)
藺相如曰、王以名使括。若膠柱而鼓瑟耳。括徒能讀其父書傳。不知合變也。趙王不聽。遂將之。

[書き下し文]
藺相如(りんしょうじょ)曰く、王は名を以て括を使う。柱に膠(にかわ)して瑟(しつ)を鼓するが若きのみ。括は徒だに能く其の父の書伝を読むのみ。変に合ふを知らざるなり、と。趙王聴かず。遂ひに之を将とす。

[原文の語訳]
(文武知勇の将である)藺相如が言う「王は名声だけで趙括を用いようというのですか。それはまるで膠で琴柱を固定いた瑟で奏でようとするものです。趙括は名将であった父・趙奢の遺した兵書をただ読んだだけ(で実戦経験がありません)。臨機応変な対応などできません。」と(諫言した)。趙王はこれを聞き入れず、遂に趙括を大将とした。

[解釈]
故事「琴柱に膠す」の由来で、琴柱を瑟(大琴)に膠(にかわ)で固定してしまうと音の調整ができなくなることから融通がきかないことの例えです。

読書家で知識が抱負でも、本に書いてある通りにしか物事を当てはめることができず、状況に応じて臨機応変に対応することができないということです。

数学でも公式を覚えるのに、教科書にある内容をそのまま暗記したとしても、テストで少し変化が加わっていると解けなくなるようなものです。

何の知識もない中でむやみやたらに動くのもいけませんが、与えられた内容とおりにしか動かないのも考えものです。

こういう人は、矛盾する内容の二編を手にした場合、どちらを選択するんでしょう。そうやって悩んでいる内に貴重な時間を浪費してしまうのかもしれません。

基礎編を学んだ上で応用編をできるだけ取り込むなど、手にした知識に別の知識や考えを付け加えて実践することで、はじめて「知恵」として役立つものとなるのです。

固定概念や先入観にこだわりすぎず、良い意味でいつも疑問をいだいて多角的な視点で融通を利かすようにしたいものです。

その時々の状況判断をせず、変化に疎く自らの主張に一徹すぎるトップには困りものです。

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