「自分軸を確立する」雲烟過眼
雲烟として眼を過ぐ
―雲烟過眼―
[原文](宝絵堂記)
譬之煙雲之過眼
[書き下し文]
譬(たと)えるなら烟雲として眼を過ぐ
[原文の語訳]
例えるならば雲煙のように目の前を過ぎ去っていくようなものだ。
[解釈]
煙や雲がどんどん流れ去っていくように、物事が次々と移り去っていくということです。
また、自然の流れに任せてやり過ごすという意味で取れば、小さな物事にはこだわらないということにもなります。
雲の形は二度と同じ状態になりません。いちいち雲の形に気を取られていては、あっという間に時間は過ぎてしまいます。
時代の流れもそんな感じですね。モノもコトも進化に勢いがあればすぐに先発は廃れ、すぐに後発の新しいものが登場していきます。
情報もどんどんと流れていきます。あれもこれもと手を出すと収集がつかなくなります。
でも時には自分を忘れたいときなどボーッとして雲の流れていくのを眺めていたい時もありますよね。
雑多の嵐に目移りしたり吹き飛ばされることないよう、吹流しのような魔(邪念)除けを掲げ、その竿となる自分軸はしっかり確立したいものです。
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