「良し悪しが自覚できるように」珠玉在側、覺我形穢
珠玉側に在れば、我が形の穢きを覚ゆ
―珠玉在側、覺我形穢―
[原文](晋書 衛玠傳)
珠玉在側、覺我形穢。
[書き下し文]
珠玉側(かたわら)に在れば、我が形の穢(きたな)きを覚ゆ。
[原文の語訳]
素晴らしいもののそばにあると、自らの形の悪さを感じる。
[解釈]
立派な人物がかたわらにいると、我が身の醜さを恥ずかしく感じるということです。人物評価としてはかなりの褒め言葉ですね。
人でなくても、相対比較して一喜一憂し過ぎるのもいけませんが、井の中の蛙になってしまってもいけませんね。時に外を見ること、特に立派なものに触れることは大事です。
良い物に接するから、相対的な良し悪しが分かるようになります。作品展で入選作と入選できなかった自分の作品とで、比較してみることで気付くところができるようになると自己研鑚力が向上するのではないでしょうか。もちろん、全てにおいて比較しなくてはいけないという必要性はないことをも忘れてはいけません。自己満足で良い時もあるのです。
身近に珠玉といえる人を見つけ師として尊敬し、自らの修養の励みにしたいですね。
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