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[勝手推敲]令和3年8月10日付 河北春秋

原文

明治の初めまで、宮城県村田町は紅花の交易で栄えた。奥羽山脈を越え、最上川を下って酒田から上方へ運ばれたという。国の重要文化財「旧大沼家住宅」がかつての繁栄ぶりをしのばせる▼76年前の夏、大沼家の前で1枚の写真が撮られた。写っているのは東京都杉並区の小学1、2年の少女約30人。1945年3月10日の東京大空襲の後、村田町に疎開してきた。旧大沼家住宅の真向かいにある分家で6代続く雑貨店を営む大沼悦子さん(82)は、彼女たちのことをよく覚えている▼「前列の右から2番目が西村ちえ子ちゃんです。おしゃれな白いちょうちん袖のブラウスに、ピンクのスカートを着ていました」。同い年の2人はすぐ大の仲良しに。西の空が紅のように染まるまで、石蹴りやおしゃべりをして遊んだ▼だが、ちえ子ちゃんは8月15日の終戦を知ることなく、はしかで亡くなってしまう。もんぺ姿のお母さんが東京からやって来て、遺骨をぎゅっと胸に抱きながら涙を流していたことも悦子さんは覚えている▼悲しく終わった戦争の思い出を、悦子さんはずっと語り継ごうとしている。「足腰は弱ってきましたが、口の方は、まだまだ達者ですから」。悦子さんの蔵造りの店の入り口にはこの夏、紅花のドライフラワーが飾られていた。(2021年8月10日付 河北新報 河北春秋)

推敲後

明治の初めまで、紅花の交易で宮城県村田町は栄えた。奥羽山脈を越え、最上川を下って酒田から上方へ運ばれたという。国の重要文化財「旧大沼家住宅」がかつての繁栄ぶりをしのばせる▼76年前の夏、1枚の写真が大沼家の前で撮られた。写っているのは東京都杉並区の小学1・2年の少女約30人。1945年3月10日の東京大空襲の後、村田町に疎開してきた。彼女たちのことを旧大沼家住宅の真向かいにある分家で6代続く雑貨店を営む大沼悦子さん(82)はよく覚えている▼「前列の右から2番目が西村ちえ子ちゃんです。おしゃれな白いちょうちん袖のブラウスにピンクのスカートを着ていました」。同い年の2人はすぐ大の仲良しに。西の空が紅のように染まるまで石蹴りやおしゃべりをして遊んだ▼だが、ちえ子ちゃんは、8月15日の終戦を知ることなく麻疹(はしか)で亡くなってしまう。もんぺ姿のお母さんが東京からやって来て、遺骨をぎゅっと胸に抱きながら涙を流していたことも悦子さんは覚えている▼悲しく終わった戦争の思い出を悦子さんはずっと語り継ごうとしている。「足腰は弱ってきましたが、まだまだ口の方は達者ですから」。この夏、紅花のドライフラワーが悦子さんの蔵造りの店の入り口に飾られていた。

後記

だが、ちえ子ちゃんは8月15日の終戦を知ることなく、はしかで亡くなってしまう。

この部分について本当は

だが、8月15日の終戦を知ることなく『ちえ子ちゃん』は麻疹(はしか)で亡くなってしまう。

(『』は便宜上つけています)としたかったのですが「知ることなくちえ子ちゃんは」と読みにくくなるため、ちえ子ちゃんを冒頭に残して読点をつけました。同時に読点を削るために『はしか』を『麻疹(はしか)』にして平仮名の連続を避けました。

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河北春秋(8/10):明治の初めまで、宮城県村田町は紅花の交易… | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS
https://kahoku.news/articles/20210810khn000003.html
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