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日陰の製造業?

もう50年も昔になるが、大学を出た年の同級会で、都銀へ行った友達がボーナス50万と話した時のショックは長く忘れられなかった。

私は地味なメーカーにやっと就職し、手にした初任給は2万3千円、賞与は3万そこそこだったからだ。総合商社の友人はアメリカに社費で留学し、本給を日本で貰いながら、生活は別途支給の現地手当でまかなうという豪勢なもので、5~6年海外へ行ってくると家が建つともいわれた時代であった。

自分と大して変わらないはずだったクラスメートが、社会に出たとたんに遥か上の位置にいる姿を見ると、自分の成績不良、身から出た錆という具合の悪いことは棚に上げて、「どうやら道を誤ったらしい」と思わざるを得なかった。この事態が飲み込めてからは、同級会の敷居は見上げるほど高くなった。

アルミサッシと言えば文化生活のシンボルのようなもので、どこの家も木製窓をアルミの銀色に輝くサッシに変えた嬉しさを味わったものである。ましてやアルミパネルといえばもう超高級品で、売り手市場だったから、お客さんが工場の前で待っていて御礼を言いながら持っていった時代もあった。

しかし「どんな産業も、一度だけ本当に栄える時期があって、それを過ぎると、もはや繁栄は二度とない」と言う。人生の本当に良い青春時代がただ一度だけ誰にもあるのに似て、この言葉は案外当たっているという気がする。わがアルミ建材業界も青春時代をずっと前に終えてしまったとすれば、今は熟年というべきか、中高年と呼ぶべきか、いずれにしてもかつての勢いは望むべくもない。

「物作りの日本」とマスコミは士気を鼓舞するが、繁栄を享受してしまった産業に、本当に、再び黄金の時が来るのだろうか?

 そこで思い浮かぶのは古河の変遷である。古河鉱業が銅山経営を手がけ、子会社の富士電機が電気機器を担うと、孫会社の富士通がコンピューター業界で活躍するようになった。汎用コンピューターの世界から離れた、「ひ孫会社」である富士通ファナックは工作機械用NCに特化して業界ナンバーワンとなった。一口に製造業と言っても作るモノはどんどん変わっていて、川下になればなるほどブラックボックス(見えない、見ても分からない)になっていて、分からないモノを作っている会社ほど、時代に適応しているようだ。

再び繁栄するとすれば、鍵は、「見ても分からない」部分にありそうな気がする。


     ☞『迷いの時代に』より「日陰の製造業?」

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