2022/2/26

先に言っておくがここに書いたことは全てこれが正しい、ということではない。個人的な知識経験を元に書いているので掘り下げたくなった方はご自分でしっかり文献等調べるなどしていただきたい。

事実

事実を受け入れる過程で様々な感情を抱くものだ。
不安、悲しみ、怒り、諦め、絶望、否定、誤認、様々な感情が間に入る。

素直に受け入れているように自分では思っていてもそうではないことは多く、受け入れる過程というものが存在する。そんなものはないと感じるくらいスピーディーな経過を辿る人もいるだろう。

文明の機器

街のあるところへ行けば大体インターネットが繋がる時代になった。
人々はスマートフォンという文明の機器を手にし、あたかも自分までSmartに賢くなったと思い込んでいる人もいるかもしれない。
操るはずが気がつけば操られている可能性だってある。

スマートフォンやタブレットの普及が一気に進んでいた頃、ICT支援の勉強をしていたのだが、当時それらは知能的にいえば0歳児から操作ができるもの、という話を聞いた。論理的に考えなくても操作自体はできてしまう。逆に操作がなかなかできるようにならない大人は、頭を働かせることを怠けてはいないか?という可能性だってある。苦手意識というメンタルの問題もあるだろう。

スマートフォンを使う時に必要なのは、操作する手指(人によっては足先や顔を使うかもしれない)の動き、画面に何が映し出されているかを知覚する眼球(人によっては聴覚かもしれない)、あとは現実的に言葉の理解、ここでは主に読解力であろうか。

スマートフォンを使って圧倒的に経験値が下がるものはある。
指先を巧緻的に動かす(そのためには手指の筋肉も触感覚もどちらも必要)、眼球の大きな運動(眼球が大きく動かせないと視野は必然的に狭くなる)。もっとあるし掘り下げたくなるがここでは割愛する。

指先を巧緻的に動かす
という行為はペンフィールドという人が作った脳地図を見れば、どれだけ大脳皮質(運動覚や感覚を司っているいる部分)を使うか理解しやすい。

ちなみに手指の動きも眼球の動きも、土台となる体幹、首周り、頭、腕や脚が適度に固定できる筋力があるとよりスムーズに行うことができる。(そういう筋骨格の作りになっているのが人間であるし、なんらかの原因で筋骨格に異常があったとしても同じことがいえる場合が多い気がする)

このあたりの運動は大抵成長期に様々な経験を通して少しずつ学んでいくのだけれど、大人になると長い年月をかけてできた「癖」というものが存在するので新たに身につけ直すにはやや気合がいる。

だから「今日からスマートフォンを使わず、前段階の生活に戻していきましょう!」みたいなことは全く言うつもりはなく、「少しばかし距離を保って、他の方法も使って生活できるといざと言う時役立ちそうだね!」くらいの感じである。

「そういうことだからこれこれしましょう」
みたいな役割から私は今離れているが、これを読んで何かのきっかけになれば少し嬉しいとは思う。「絶対これいいよ」と半強制になってしまうのは避けたい。
体は一人一人違うし、心もひとりひとり違うから。

インターネット上に投げかけられた言葉は個人に対するものではないものがほとんどだ。全て自分に当てはめていると心が少しずつ知らぬ間に削れ抜け落ち曲がっていく。参考程度に留めるべきことがありふれている。
ご時世柄インターネットであれこれできるのはとても便利ではあるが、付き合い方や向き合っている時間はしっかり何度でも考えるのが良いと思う。こんなに簡単に扱えるようになってしまったのだから。

ただ、目を背けたくなるような事実は存在する。

戦争そのものも、人を傷つけるのもしてはいけない。
物理的な力で解決などしない。
人間らしく、しっかり話をしてほしい。


na*

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