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向き合う勇気

人の成長は、小さな勇気の積み重ねの上にあると思う。

友人の親子と遊んだ日のこと。


「もうお母さん帰るからね!」

そういうとKちゃんはリビングドアをバタンっと閉めて、外へ出て行った。

半べそをかいて閉められたドアを睨むのは、彼女の息子、S太だ。

「別にいいもん!お母さんだけ帰れば!」

やんちゃ盛りの若干5歳。お母さんが長野の友達のところに遊びに行くと言ったら、一緒に行くといって聞かなかったのだとか。

Kちゃんと私は大学の同期。お互い都内で暮らしていて、この日は長野に住む同じ大学出身のM美の家で久々のお泊まり会だった。

昼間は魚釣りにバーベキュー。大人も子供も大はしゃぎで、夜にはクタクタだった。


部屋に残されたS太は、強気な言葉とは裏腹に、下唇を突き出し、溢れんばかりの涙を溜めて小さく震えている。

折り紙で作ったスマホ(といっても四角く折っただけのものだが)を何度言われても片付けなかったから、知らない間に母親に捨てられていた。

それを知ったS太は、この日一番の癇癪を起こし、手が付けられないくらいに興奮してしまった。

泣きわめき、何を言っても聞かないS太に、Kちゃんがついに『見限った』ふりをしたのだ。

「うう……」

小さな瞳は、強い自分を保とうとする自尊心と母親の言うことを聞かなかった後悔の狭間で揺れている。


私には子供がいない。友人の子育てに口出しするつもりなど毛頭ないのだが、立ち尽くすS太に、声をかけずにいられなかった。

「どうして折り紙捨てられたかわかる?」

私はS太の正面にしゃがんだ。S太が顔をそむけるので、逃がすまいと両腕を掴む。まるで活きの良い鮎のように、S太は体をうねらせて私の手から逃れようとした。

彼は、親の言う事をとにかく聞かなかった幼い頃の私に、どこか似ている。

「わかってるんでしょ?言ってごらん」

とっさに出た自分の言葉に、私は全身が熱くなるのを感じた。

そう。彼はもう、十分わかっているのだ。自分が悪かったということを。

「言いたくない」

S太は下唇を突き出したまま声を振り絞った。

スマホを捨てられたこの理不尽が、元を正せば自分の行いのせいだなんて、認められない。認めてしまったら、自分でスマホを捨てたようなものだということになる。

言いたくないと繰り返すS太に、

「自分の悪かったところをちゃんと認めないと、また次も同じことしちゃうよ。いいの?」

と、なんだか自分に言い聞かせているように、私は言った。

5歳に話すようなことだったかはわからない。折り紙が片付けられなかっただけで、大げさかもしれない。

でも、知ってほしかった。

自分の間違いを認めること。一度やってしまったことを無かったことにはできないこと。無かったことにはできなくても、間違いを認めることで次へ進むことができるのだということを。

未熟な自分と向き合うことは簡単ではない。大人でも勇気のいることだ。

偉そうにS太に言って聞かせる私の脳裏にも、数々の苦い記憶が蘇る。何度後悔してもしきれないことだってある。

大人になっても間違える。その度に、自分と向き合い、反省するのだ。それ以外に、次へ進む道はない。だからS太、言ってごらん。


15分くらい経っただろうか。S太が観念してついに言った。

小さな声で、「お片付けしなかったから」と。


Kちゃんは玄関を出てすぐのところで待っていた。彼女は謝る息子の頭を撫でながら私のほうに向かって、片手で「ごめん」のポーズをした。

S太はスッキリした顔で、スマホのことなどもはや覚えていないようだ。


たくさん遊んで叱られた幼き日のことを、彼は忘れてしまうだろう。しかし、一度覚えた勇気の出し方はきっと忘れない。

これから何度も間違えるかもしれないが、その度に自分と向き合うことができるはず。

彼も、私も。


これは、第21回「二十四の瞳 岬文壇エッセー」に応募した自身の作品をリライトしたものです。受賞ならずだったのでここで成仏させてもらいました。


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