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これまでのこと②海外

自己紹介の続きです。

ハイチのプリント

小さな頃から、なぜか海外に興味があり、ボランティアに興味がありました。

小学5年生の時、小学校に授業に来てくれたNGO団体が配ったプリントが大切だと思って、ずっと取ってありました。
見つけた時には黄ばんでました。笑

それぞれの旅の詳細は後ほど書きたいと思います。

高3の夏休みに初海外


あまり、良い判断とは言えませんが、高校3年生で初めて海外に行きました。
ロータリーがやっている高校生の奉仕団体、インターアクトクラブの役員をやっていたので、オーストラリアの研修に行かせてもらいました。35人の他のインターアクトクラブの友達と共に1週間ほど行き、ホームステイも経験しました。
初めてのことがいっぱいで、とにかく眠かった思い出…笑

ジロングという地域の高校を訪問。

アボリジニ系の家だったこともあり、小物の一つ一つが新鮮すぎて、落ち着かない私の部屋…笑


メルボルンでは、中華街に行き、英語と中国語を話せたら世界中のたくさんの人と会話できる!と思ったのでした。

2カ国目は韓国。


韓国では、日韓青少年文化交流的な物だったので、韓国人の大学生とたくさん話しました。YMCAのプログラムでした。
それが2008年だったので、まだ韓国の文化が少ししか日本に入っていない時期。にもかかわらず、韓国人はすごいたくさんの日本文化の知識がある!!それに驚きました。特に山Pが人気だった。笑

みんなに「走れ!」と言われて仕方なく走った…

3カ国目はバングラデシュ


飢餓を無くそう!というNGOで活動していたこともあり、バングラデシュの支部に派遣してもらいました。(応募して選考に通ったからだったはず…。)

バングラデシュを訪問し、会議をしたり、大学生や高校生と触れ合ったり、地元の方と話したり…
「貧困と文化の違いって何だろう?」と思いました。
冷蔵庫、電子レンジ、ガスコンロがある生活が、裕福なことではないよね。確かに便利だけど、私が出会ったバングラデシュ人がその生活を手に入れることが、必ずしも良いことではないよね。と感じました。
19歳だった私は、飢餓貧困を何とかしたいと思ってバングラデシュに行ったのに、「バングラデシュは、これでいいんじゃないか?」と思い、凄まじい衝撃を受けました。(もちろん、色んな観点があることを後から学んでいくわけですが…)

4カ国目から


4、5カ国目はイタリア、バチカン市国こちらは2週間の旅行◎
6カ国目はフランス。
人生初で多分最後の、海外バスツアー。移動が激しく、どこで何をしているのかよくわからなくなってくる目まぐるしさでした…今後、ツアーを利用することはないでしょう。と思った旅でしたが、主要な場所は覚えています。
でも、こういう写真がいっぱいある。ここはどこなのか、この方はどなたなのか、全くわからん。笑


7カ国目は、、やばい、この辺から忘れてきてる…

7、8、9カ国目はマレーシア、インドネシア、シンガポールかな…。バックパックとともに旅をし、安宿に泊まっていた記憶がある…。

ここはどこだろう…写真はあるものの、全然記憶にないなあ。。


バリ島で水着で歩いてたら、「オッパイチッチャイネー!」とすれ違い様に言われた記憶もある…。笑

10カ国目は中国。ボランティア。

香港・韓国・中国・日本の大学生が集って、四川大地震から1年後ということで、地震に関する学習やボランティアをしました。
こちらもYMCAのプログラム。

当時、震災遺構として公園みたいにしたいという話だったけど、どうなったかな…

中国人て、いつも大声で良いイメージがなかったけど、そうじゃない人もいるんだ、というか、それだけで判断できないんだなあと知ったボランティアでした。
友達ができたおかげだわ〜。
そこで出会った香港人とは、今でもやりとりがあります。(中国人は、facebookを使っていないというか、国の政策で使えないことになっているはずなので、仲良くなってもどうしても、その後疎遠になってしまいます…)

留学。11カ国目から

11.カ国目はカナダ
大学2年生を終えて1年休学し、トロントに留学しました。
北米最大級?のプライドパレードはすごすぎた。刺激強めだった。いっぱい載せれない写真がある…笑

これ刺激抑えめ。


ホームステイ、バイトもしました。
国内旅行もできて、ロッキー、オタワ、モントリオール、プリンセスエドワード島とかも行きました。

12カ国目はアメリカ
トロントからニューヨークに遊びに行きました。
ニューヨークからまたトロントに帰り、またバイトをしていました。

13カ国目はウガンダ。

トロントから飛行機に乗るより、ニューヨークから乗った方が5万円くらい安かったので、トロントからニューヨークまで夜行バスで行って、ニューヨークからアムステルダム経由でウガンダの首都カンパラに入りました。
その後はケニア、タンザニア、ザンビア、ジンバブエ、南アフリカと旅をしました。(これものちほど書きたい…)

ウガンダ、ジンジャの孤児院を訪問させてもらった。

3ヶ月のアフリカ旅を終え、南アフリカのケープタウンからドバイ経由でインドネシアに行き、インドネシアでワークキャンプをしました。寺院にて「ポイ捨てはやめよう!」という呼びかけを、インドネシア人・アメリカ人・フィンランド人・ベルギー人・韓国人と共にしたり、マングローブの木についての話を聞いたり、マングローブの葉が入ったパウンドケーキを食べたりしました。(これめっちゃおいしかった!)

空気が気持ち良すぎる、山の上の寺院でした。

日本に帰国し、2011年3月11日を名古屋市内の実家で過ごしました。
帰国後の4月からは大学3年生。海外に関わる仕事をしたいと思っていましたが、日本一大事だと思い、東日本大震災の被災者支援に従事することとなりました。

19カ国目はフィリピン。結婚式もセブ島で。


YMCAのワークキャンプで、フィリピンの学生と交流したり、ホームステイをさせてもらったり、ボランティアを一緒にしたりしました。マヨン火山という山をすごく覚えていて、火山噴火すると人々の生活に直結するし、飢餓や貧困とも直結することを知りました。でも、大きな山だから親しみもあるし、完全に憎むことはできない存在…というのも感じ取りました。今でもマヨン火山のオブジェを大切に持っています。

無事に単位も取れ、卒業の見込みもできたので友達と共にヨーロッパへ卒業旅行。
なぜか私一人だけ先にパリに入り、途中でみんなと離れてスイスに行くプランを計画しました(すごい、協調性ないよね。笑。一緒に行ってくれた友達に感謝しかないわ…。)
ということで、20カ国目はスイス。パリ→リヨン→ジュネーブと、1人で電車旅をしました。

いつもどよん〜とした天気だった。


マレーシアのペナン島でYMCA関係の会議に参加させてもらったり、アメリカのピッツバーグOne Young Worldのサミットに参加させてもらったのはいつだったかな…2012年ごろかな。

コフィー・アナンさんやムハマド・ユヌスさんのの講演を聞けて感動


その後マレーシア、インドネシアを今の夫と旅しました。アフリカで食べて結構好きだったジャックフルーツをマレーシアの中華街で食べた時は、アレルギーの症状が出て、本気でビビりました…。のどがプツプツするとか…。

2016年にはセブ島で結婚式をしました。家族と友達含め、30人くらいと共に過ごしてとても良い思い出です。準備も非常にシンプルで、練習も一切なしのぶっつけ本番だったので、それ以外のことに労力を割けられた気がします。以前フィリピンを訪問した時のご縁で、女性の就労を支援しているグループを知っていたので、引き出物というか、参加してくれた方へのプレゼントをお願いしました。とても素敵なものを作ってくれたし、自分が少しでも貢献できてたらいいなと思います。

箱の中には、ピリナッツというナッツもありました♡

ー20度の北米

2017年、夫をカナダに連れていきたくて、12月の寒い時期にカナダとニューヨークに行きました。年越しのカウントダウンをタイムズスクエア付近でしまして、とても盛り上がりました。
タイムズスクエアの中心部だと、出入りできない状態になるようなので、”おむつ”をはいていく必要があるらしいですが…そこまでは頑張れないので、近くのカフェで過ごし、時間になったら外に出てワイワイやるかんじにしました。ー20度の極寒でした…。

寒そうでしょ。しかも、スーツケースが一緒に移動してくれなくてレギンス姿でした…。
たまたま綺麗に撮れていますが、もちろん私撮影です。

あと、オーストラリアへリーダーシップ研修という研修をするために数名を引率して10日間くらい過ごしたことが2回。Landcareのグループに非常にお世話になり、とてもいい方ばかりだった美しい記憶があります。あと美味しかった記憶♡

ふらっと入ったカフェの朝ごはんが最高すぎた。

仕事を辞めて、母になる。

2018年、持病があるために早く出産したいということもあり、仕事を辞めさせてもらって妊活を始めようとしました。
でもその前に、「ちょっと1人で海外に行かせてください〜」ということで、友達を訪ねる目的でタイと香港に行きました。
21、22カ国目の国と地域はタイと香港になりました。
旬のドリアンが本当に最高だった。また食べたい…!(新鮮なもののみで)

無事に娘が産まれたので、娘が7ヶ月の時に海外駐在中の友達を訪ねるために、飛行機に乗りました。
23カ国目はベトナム。
ハロン湾クルージング1泊2日しましたが、とても良かった。
同じ船のインドネシア人にインドネシア語で話しかけたものの、全然インドネシア語で返してくれなくて微笑んでくれるだけだから変だな〜と思ったら、この方はスンダ語を話す地域の方でした。失礼をしてしまったかな。。

多分、これで全部です。
もしかして思い出したことがあったら、しれっと更新しますね…。

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