「グラマフェマス」 第2話 高級寿司と冒涜鯨

「今日は帰ったら寿司だ……絶対寿司にする」
 十字架のそばで生き返りながら、天使はぶつぶつ呟いた。

 冒涜狩りを抜いて、八華天使はターゲットの冒涜者の元へ再度向かった。冒涜者はゆうゆうと、真っ白なビーチの奥、黒い海を泳いでいる。巨大な鯨、その背中におぞましい人面と癌のようなコブ、ヒレの部分に人間の腕がある怪物。それが今回討伐対象の冒涜者だった。
 剣を抜き、天使は砂浜で冒涜鯨を待った。一番近づいた時を見計らって、背中に飛び乗り、冒涜狩りを突き刺す。だが、皮下脂肪が分厚すぎ、致命傷にはならなかった。

「うあっ!」

 鯨は激しく上下し、天使は振り落とされる。海に投げ出された瞬間、鯨が覆い被さるようにジャンプして、その巨体を叩きつけてきた。
 天使は深々と水の底に叩き落とされ、いやというほど海水を飲み、鯨の腹の底で、溺死した。

「……くそ。溺死は苦しいから嫌だ」
 
 ザフキエルの使いらしい小さなキューピッドらが、剣を持ってきてくれるのを受け取りながら、天使は色々考えあぐねた。

「水に落とされたら確定で動けなくなる。目を突くのは難しい。表皮もダメ。皮下脂肪が厚すぎる……内臓を破壊するしかない」
「流石。戦士らしくなってきましたね」

 ザフキエルは感心したように言った。天使はなにか使えないかとあたりを見回す。ふと、海岸の端に、小舟を見つけた。中央に腐った魚が山積みになっており、蝿がたかっている。

「よし、あれだ」

 天使は小舟を蹴りだし、鯨の顔面近くに漕ぎ出させる。自らは姿を隠すように舟の影に隠れ、ゆっくり泳いで近づいた。
 狙い通り、鯨は大きな口を開けて魚を食べようとした。天使は舟のヘリを蹴って口内へ飛び込み、錐揉み回転しながら、舌を切り裂いた。

「グオウオオオオオオオ!!!」

 叫び声を上げる鯨の口内、さらに奥に進んで喉、胃とところ構わず斬りまくる。愛剣冒涜狩りは、鯨の内臓を豆腐のように切り裂くことができた。

「死ね、オラッ!」

 おびただしい血を被りながら、天使は最初の胃の中を滅多斬りにする。胃が血で満たされた瞬間、鯨は全身をくねらせ、胃袋の中身とともに、天使ごと吐き出した。

「……お疲れ様です、天使さん。鯨は死にましたよ」

 血と反吐のどろどろにまみれて、天使は砂浜に打ち上げられた。

「……早く現世に戻してくれる?」
「ひゃい」
「てめー鼻つまんでるんじゃねーぞ!」

 ━━

「はぁ……天国」

 現世に戻り、天使は公営団地の自宅でシャワーを浴びていた。現世に戻った時点で血や反吐は消えていたが、魚の腐り切ったような臭いが鼻に残っている気がした。
 風呂から上がると、ザフキエルがダイニングの椅子に腰掛けていた。

「なにしてんの? 帰れよ」
「今日はご飯、お寿司と言っていませんでしたか」
「そうだけど」

 ドライヤーで髪を乾かしていると、ザフキエルはわざとらしくため息をついていた。

「いいですねぇ、お寿司。人類の作った料理の中でも最高のものの一つです。いいなぁ、長いこと食べてない」
「なに……まさか一緒に食べに行きたいってこと?」
「まあ、平たく言えばそうです」

 天使は目の前のザフキエルの姿を見た。
 背中には青い火のついた円盤があるし、顔は真っ白、鼻は無くて目と口は切り裂かれたような黒い線。腰が無くて異様に長い手足。異形以外のなにものでもない。こんなやつ寿司屋に連れて行ったら大騒ぎだ。

「一人で行けや」
「いえいえ、我ら天軍は人に来てもよい、と許可されないと現世に顕現してはいけないのですよ」
「めんどくせぇな、なんであたしがあんたと寿司食わなきゃいけないんだよ。飯が不味くなる」
「ま、ま、そう言わず。あなたの疑問にいくつか答えてあげますから。あなたが選ばれた理由とか」

 天使は少し考えた。

「なに聞いても教えてくれなかったくせに、どういう風の吹き回し?」
「あなたが正式にメルカヴァリオンになったので、いくつかの情報共有が許されたのですよ。その話をしたいのですが、この狭い部屋に顔突き合わせて喋るのも面白くないので、食事しながらでどうです」
「……じゃあ、最高級の寿司屋に行くからな。それと、人間らしい格好しろよ」
「もちろん。ほーら」

 くるりと一回転すると、黒いスーツに黒いハットを上品に被った青年が現れた。髪は長く、パーマがかけてあり、上品にウェーブがかかっている。

「誰おまえ」
「天軍が用意した日本人青年男性の平均的格好です」

 なにを参考にしたのだろうか、ちゃらけた芸能人かなにかにしか見えない。

「まあいいや。行くぞ……お前のおごりだよな?」
「はい? ……ええもちろん」

 贅沢にタクシーを使って、わざわざ銀座の高級店まで向かった。

「今日はお母さまはいないのですか?」
「友達と旅行。あたしのせいで、ずっと旅行も我慢してたんだから」

 あがりをすすりつつ、天使とザフキエルはさっそく寿司を注文した。

「おまかせコースの松と、お好みで大トロ20カン。全てサビ抜きで。あなたは何にします?」
「……大トロ一人で食う気かよ。あたしも松のコースで、大トロ10カン、サビあり」
「へい」

 板前さんが景気よく返事をしてくれた。話す内容が内容だけに、奥の座敷席を取っている。

「で? そもそもなんで、戦車兵だかがあたしだったの」
「異教徒の日本人……我らが神を信望していない若い日本人の女性、が戦車兵として理想なのです」
「キリスト教徒じゃないってこと? なんで」
「キリスト教徒と一口には言えません。それは人間が勝手に宗派を分けただけですから。正確には我らと同じ神を信望する人の子すべてですね」
「分かった分かった。で、なんで日本人で若くて女? 若いのは分かるけど、戦うなら男がいいだろ」
「まず、異教徒の日本人なのは宗教的禁忌が少ない者が多いからです。冒涜者共の姿、見たでしょう? 聖人やらキューピッドやらを模した悪趣味な輩ばかりだったはずです」
「まあ……そうね」

 頷いたところで、まず突き出しの椀物と刺身、焼物が運ばれて来た。山菜のおひたしに、カツオやアジの新鮮な刺身、焼き物は松茸だった。

「松茸って初めて食べるよ」
「ほう、そうですか。匂い松茸、味しめじといいますが、松茸の方が味も美味しい気がしますよ」

 随時つまんでいると、ほどなくして握り寿司が下駄に乗って運ばれて来る。トロを頼んだせいか、鯛に、海老、白子、ぶり、エンガワと、白身のものが多い。

「……我らと同じ神を信望する人間らは、冒涜者の姿にひどいショックを受けます。腐れはてた聖母マリア、四肢がめちゃくちゃに生えたイエス。異教徒の日本人は、敵がたとえ親しみ深い仏の姿をしていようが、理由があれば斬れると聞いています。事実、あなたも仏を侮辱した姿をした敵を、一太刀で斬り捨てたはずです」
「ああ……そんなのもいたっけな」
「日本人が特に禁忌にするのは、食べ物だそうですね。特に、この白米」

 ひょい、とザフキエルはネタをつまんでシャリを露出させた。

「お、赤酢を使っていますね……流石高級江戸前寿司店だ……あなたはこの白米を踏みつけろ、と言われたら、ひどく躊躇するはずです」
「そりゃあ、そうだね」
「同じように躊躇してしまったのですよ、我が神と同じ神を信望する人の子らは。敵はまんまと敬虔な戦車兵候補達を弄び殺しました。これはマズイと思い、別の神を信望する人間が多い国家を招兵候補地に選んだわけです」
「日本人なのは分かった。で、条件の中の、女ってのは?」
「あなたを送った世界に現地人がいたのは気づいたと思いますが、男性を戦車兵として送った際、彼らを暴行した事例があったのですよ。どうせ俺は死んでも死なないんだからと。スカウトしてきた天軍の者は死刑となり、男はゲヘナに送られ、今も永遠の苦しみを味わってもらっています」
「クソ野郎だな。当然の報いだ」
「我ら天軍が日本人、それも女性を選ぶ理由が分かりましたか」
「分かった。意外とちゃんと理由あったんだな」
「当たり前です。おっ、来た来た」

 大トロが大きな寿司下駄に乗せられて運ばれてきた。ザフキエルは、外国アニメのように揉み手をして迎えた。

「すご……肉じゃん」

 肉。天使は初めて高級寿司店の大トロというものを見たが、そうとしか形容の仕方を知らなかった。ほんのり茶色がかったシャリの上に、上品なピンク色と赤が縞模様になったトロが乗っている。高級和牛の生肉のように鮮やかなサシが入っており、脂でつやつやと輝いていた。

「いただきまーす」
「そういえば、あなたが倒した冒涜鯨の胃袋もこんな色でしたね」
「今それ言うか? 黙って食え」

 クジラの内臓を振り払うように、天使は大トロの寿司をためつすがめつし、やがて一口でほおばった。

「……うわ……美味しい……なにこれ、溶ける……」

 舌に乗せた途端、上品な脂の甘味が口いっぱいに広がって、鼻からさわやかに抜けていく。赤酢の独特な甘味と醤油の辛さが交わって、口中に幸せが広がった。

「うま~い……」
「いやあ、美味しいですね」

 ザフキエルは上品に、正座したまま食べている。もっと素っ頓狂なことをするかと思っていたので、天使は安心した。

「ここのお店、本当に美味しい。今度はお母さんと一緒に来よう」
「それがいいでしょう。そういえば、いつまであんなボロ家に住んでいるのです? 他の方ならもう豪奢な邸宅に引っ越しているところです」
「うるせえな、今色々考えてるんだよ……他の方?」
「ああ、そうそう。日本に|神の戦車兵≪メルカヴァリオン≫は、複数いるのです。次の仕事はその一人と共同でやってもらう予定でした。あなたたちが仲良くやってくれたら嬉しいんですがね。より強力な冒涜者と戦えますし」
 ザフキエルは胸から写真を取り出して見せる。写真の中の人物は、面頬をつけた鉄兜をしていて、顔が見えなかった。


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