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父は家出中

父方の祖父は子どもを10人作ったが育てなかった。
戦争中の食糧難なども重なり、10人の内の3人は幼くして亡くなっている。

わたしの父は第1子という運命で生まれた。
働かない父親の代わりに母親、弟、妹を食べさせなくてはならなかった。
好きだった勉強も進学もそのために諦めなくてはならなかった。
食べさせるだけでなく躾も厳しく教育熱心で、漢字の書き順も間違っているとよく叱られた、親より恐かったと後に父の弟(おじ)から聞いた。

ある日大きな荷物を遠方まで運ぶという仕事を請け負い、父は自転車の後ろに大八車をつないで荷物を運んだ。
山を越え数十㌔先に届けなければならなかった。
平坦地でも大変な距離だが、父は坂道を自転車を降りて押し上げたり、下りでは荷物の重さに怖い思いをして下ったことだろう。
今のように道路事情も良くなく、無舗装の山道である。
やっとの思いで荷物を届け、ヘトヘトになって帰宅し母親に「これで弟たちにうまいものを食べさせてくれ」と全報酬を渡した。
母親の手にお金を載せるが早いか、父親が現れ「俺、タバコ買う」とお金をもぎ取った。
父はその時、父親とケンカしたかどうかはわからない。
しかし、父のピンと張っていた糸が切れた瞬間だった。

父は家を飛び出した。
父は飛び出したが自由になったわけではない。
大伯父を頼って働き、家に仕送りをしていたと思う。
父の姿を見て大伯父は「いかにも痩せている」と言っていたそうだ。働いても自分のためにはお金を使えなかった。

その頃に職場で、ある女性と出会う。
二人は惹かれ合い、しばらくして父は女性の家の夕食に招かれた。
その招待に丁寧なお礼の手紙を書いた。
女性の家では、誠実な父の人柄に二人の交際を認め、結婚が決まった。
その時の手紙が今も残っている。
緊張しつつ訪問したが、自分を温かく迎え入れてくれた家族に感謝の意を表している。
現在の20代の若者にはこんな手紙は書けないであろうという文面だ。

以上はわたしが母から聞いた話である。
父がそんな苦労したことを一言も本人からは聞いたことがない。

父は結婚して二人の女の子が生まれた。そして数十年して孫、その後にはひ孫にも恵まれた。

家出以来、ずっと実家には帰っていない。

父は未だに、家出中。

※補記
この話、聞いたことある…と思ってくださった方、NHKの「こころ旅 810日目」で取り上げていただき、放映された話です。




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