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富士山弾丸登山

20歳の時に、父に誘われて富士山に登ることになった。
登山、と言っても家に登山装備品があるでもなく、ヤッケ、リュックに運動靴、首にはタオルくらいの準備であった。
駅前から観光バスに乗り込み、数時間かけて富士山5合目に到着。
誰もが5合目に着くと同じ感想を述べる。
「あそこが山頂?近いじゃーん」
まさにその感想を口にして、若さと体力有り!という自信満々、意気揚々として登山を開始。
父もまだ50歳くらいで元気いっぱいだった。
暗い足元を懐中電灯で照らしながらゆっくり登る。前にも後ろにも登山者の行列ができていて、その灯りが天まで続き、夜空の天の川にまでつながって美しい。
流れ星もたくさん見られて、わたしはいちいち歓声を上げていた。
斜度はあまりきつくはないが、所々鎖場もあってつかまってよじ登る。
わたしが先に行き、父を気遣ってがんばれ、気を付けてと声をかけながら進む。
明日の朝のご来光を山頂から見るためには、そのまま眠らずに登り続けなければならない。
何度も休憩し、結構登ったからもう一休み、と大きな岩の上に座った。
からだは熱く、冷たい岩が気持ちよかった。
しかし、その時気持ちよさを通り越して急に岩に体温を吸い取られていくような感覚があった。
自分の顔から、暗闇でも赤みが抜けていくのが見えたのではないか、と思うくらいだった。
頭痛…。
着ている衣類がわたしを締め付けるようで、息苦しく感じた。ブラジャーも取ってしまいたかった。
「お父さん、気持ち悪い」
わたしは父に申告した。父は高山病だな、と言った。
気分が悪いものの、せっかく8合目は超えたんだからもう少し頑張る、と我慢して前に進んだ。
気分は変わらない。
父はわたしより元気で、今度は逆にわたしを気遣い、励ました。

今からでは時間的にも山頂には行けない…。
8,5合目あたりの山小屋に着いたとき、山小屋で仮眠する人たちが入口から見えた。
「本当は、ああやって体を慣らさなきゃならんのだな」と父が言った。
わたしはとうとう山小屋の壁を背に座り込んでしまった。
父も横に座った。
じっとしているとみるみる体温が下がっていく。
寒くて、気分も最悪で思わず父の腕にしがみついた。
思えば幼児のころ以来、父と触れたのは。
父の体温でなんとか自分の体温を保っている感じだった。

眼下に雲海が広がり、だんだん辺りが白んでくる。
わたしたちのように、山頂に行けなかった人たちがたくさんいて、みんな東の一番明るくなっていく一点を見つめている。
おおおーっとみんなが歓声を上げる。
毎日見ている太陽が別物みたいな顔でビカビカに光線を投げかけてくる。
みんなそれに向かって拝んだり、拍手をしたり、お互いを健闘し握手したりしている。
わたしと父も立ち上がって腕を組んだまま、山頂までは行けなかったけれど、ご来光は見られたことを喜んだ。
気分は最悪だったが。

帰りのバスの中、添乗員が「山頂まで行かれた方はいますか?」と聞くと、2人が手を挙げた。
すごいねぇ、そんな人いるんだ、あり得ないわ。

現在、富士登山は入山料がかかり、人数も制限されるようになった。弾丸登山はもちろん危険であると喚起されている。
経験者からも絶対お勧めしない。

何十年も前の、おおらかな時代のバスツアー。
父と腕を組んで見たご来光。

何合目だろうと
富士山で!

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