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わたしの「ももちゃん」

くどうれいんの作品が気に入っている。気に入っているというか、惹かれている、多分。なんにせよ、最近手に取ることが多い。

エッセイ集の「虎のたましい人魚の涙」を読んだ。くどうれいんのエッセイでは恋愛の話がよく出てくる。私は自分の恋愛話をよく知った友人にさえするのが苦手なので、赤裸々に恋愛のことを書けるのがすごいな、こんなこと書いちゃうんだ、と驚いたり戸惑ったりしながら読み進めた。

「陶器のような恋」という話がある。

高校時代からの友人の「ももちゃん」が、長年付き合っていた男性と結婚し、子どもを産み、その子どもが2歳になった頃。れいんさんとももちゃんは移動中の車の中で、互いに運転しながら電話をする。

電話中、ももちゃんが言った「結婚すると、やっぱり『恋愛』っていうより、チームってかんじになるなあ」という一言。れいんさんにとっては、苦い思い出を思い出させる装置らしい。

振り回され、ぼろぼろになって、でも体がよじれるような快感こそが『恋』なんだと、そう思っていた時期がれいんさんにはあった。そんなれいんさんを見て、ももちゃんは落ち着けと、正気じゃなかったと、言った。

恋愛にぼろぼろになって、恋愛以外のことが見えなくなって。そういう状況の友人がいたとき、私だったら「正気じゃない」って言えないと思う。なぜか恋愛だけは「他人それぞれだし」で片付けてしまう。ももちゃんも、ももちゃんのことばに耳を傾けられたれいんさんも、すごいなって思った。信頼し合っているんだなと思った。

社会人4年目、20代も後半に差し掛かって、周囲の友人から次々に婚約や結婚の知らせが届く。その度に、祝福の気持ちと同時に、なぜ結婚するって決められるんだろうと不思議に思う。

恋と愛の違いだとか、もう語られ尽くしていて改めてこんな疑問をもっている自分が恥ずかしいのだけど、でもやっぱり分からない。

人と深く信頼し合って、一緒に家庭を、暮らしを、未来をつくる関係への憧れはある。でも、それが今の自分にできる自信が少しもない。自分のことで精いっぱいだし、自分本位だし。できる限り色んなことをじっくり考えるけどそれでも考えは簡単に変わる。そんな状態で人と深く関わり合う、関わり合い続ける約束をすることに躊躇してしまう。

それと、私は恋愛において「いい塩梅」を探すことが本当に下手だと思う。それこそれいんさんみたく、恋に振り回され、振り返ると理解しがたい行為ばかりしていたときもあった。現実逃避のための恋もあった。信頼して、支え合う関係になれた恋もあったけれど、そうでない恋もあったことは確かな事実だ。だから、こと恋愛においてはあまり自分を信頼していないのかもしれない。

恋愛と結婚は違うもの。でも、恋愛の延長にありうるものが結婚でもある。私は恋愛には自信がなくて、結婚のことはよく分からない。

私は少し、混乱している。

かくいう私にも「ももちゃん」のような友人がいる。彼女にだけは、恋愛でぼろぼろな真っ最中も、現実から逃げたくてなんとなく始めてしまった恋愛のことも、始めたはいいけど相手に不誠実な自分に嫌気が差して終わらせてしまった恋愛のことも、本当に大好きだった彼との恋愛のことも、すべて話してきた。いつも彼女は静かに聞いて「思うようにいかないんだよな」って言う。そして数年後に当時の話をすると「まあ、あれはまずかったよね」と言う。そういう人だ。

正直な話、今私のこころは揺れている気がする。何があるわけではないんだけど、自分の内面が少しずつ変わっていくのを感じているし、やや浮ついた感じもある。「ももちゃん」とふたりっきりで、泊りがけの旅行に行きたくなった。


20230930 Written by NARUKURU


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