ツツジの芳香
某月某日
まぶた越しに光を感じて目覚める。朝7時。ロフトの小窓から入る光で大体の時間を把握している。
前日、かかりつけ医・職場・家族の各方面に込み入った話をした。その疲れが遅れてやってきた。複雑な話をいっぺんに済ませるとは、ほとほと無理がある。でも、話したことは偉いので昨日の自分を褒めた。
空気を入れかえるが、朝から気温が高く、どうもシャキッとしない。生ぬるく、やや湿りっぽい。
朝の家仕事をしながら、身体にエンジンがかからないことを自覚する。願かけのように鎮痛剤を飲み、朝食を食べる。それでも重だるさはとれず、今日は「そういう日」なのだと観念する。
昼前に寝床に戻り、ぐるぐると終着点のない考え事と夢の間を行き来し、ときどき起き上がって、また寝ていたら、夜になった。横になりたいのに、眠ったかどうか分からないくらいの眠りしかできないのが不思議だ。
明日にはだるさがどこかにいってくれればいいと思いながら、早々に灯りを消した。
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某月某日
ぼんやりした意識のなかで朝だと気づく。と同時に、頭から肩にかけての鈍痛を感じ、今日も「そういう日」なのだと思う。二度寝はできそうになく、一度起き出し、少し動いてから寝床に戻った。
午後になっても重さが抜けず、いよいよ「そういう日」なんだなという実感が増す。昨日にも「そういう日」と言っているものの、こころの奥底ではまだ認めていない。きちんと認めるまでに、以前はもっと時間がかかっていた。「そういう日」との付き合いも、長くなってきた。
前日より空気は蒸していて、一日中網戸にして過ごした。うたた寝をするとじっとり汗をかく。今日も空気はシャキッとしない。
安田弘之の「ちひろさん」の、ちひろさんが元気のない日の話を思い出す。こういうときはジタバタせず、落ちるだけ落ちたら、勝手にまた浮き上がる。そう言って、ひとり静かにときが過ぎるのを待っていた。無理に元気になろうとしない。元気じゃなくてもいい。妙に腹落ちして、漫画を読んでからは「そういう日」が来ても、安心してじっとしているようになった。安心して、というのは格好つけすぎかもしれない。やっぱりちょっと不安だ。
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某月某日
遅めの起床。気だるさはあるが、多少動ける。覇気はないし、頑張れもしないけれど、動ける。
久方ぶりに会う友人との約束の日だった。ギリギリまで漫画を読んで、出発の間際にシャワーを浴びて、身支度して家を出た。今日の空気は湿気はあるけど、ひんやりしている。ぬるくない。息をきらしながら、駅までの道を小走りでいく。待ち合わせには間に合いそうで、安堵した。
友人とはすぐに落ち合えた。彼女は変わっていなくて、でも、よい時間の重ね方をしたんだろうなと一目見て思った。「格好よくなったね」と言うと彼女は「何も変わらんよ」と言っていた。
その後もう一人の友人も合流して、三人でカレー屋の行列に並んだ。話すことが積もっていたのであまり待った感覚がないが、一時間以上並んでいたらしい。
店員さんの感じがよかった。素敵な若い女性だった。欲張って三種盛りのプレートを注文した。ポークカレーと、あさりとホタルイカのココナッツカレーと、ベジタブルカレー。美味しかったし、リラックスできる、穏やかでいいお店だった。
カフェに場所を移し、また話し込む。仕事の話、パートナーの話、思い出話、共通の友人の話、その他諸々。趣味の話から本屋に行く流れになり、あの本は面白かった、これも面白い、あの本ってあの教授が書いた本だね、とかなんやかんや言い合って、近くの雑貨屋にも寄り道して、解散した。
帰り道、電車に揺られながら、久しぶりに会う友人に、話したいことを話せて、聞きたいことを聞けるって、いいなと思った。「大丈夫だよ」って自信をもって言ってくれた彼女たちのことを思い出して、喉の奥がきゅっとなった。家を出るときは灰色だった空が、ピンクと、紫と、水色を混ぜた色になっていた。
少し冷たい空気に、甘く、やや重みのある匂いが溶けている。ツツジの匂いだ。そういえばここ数日、家で窓を開けると、生ぬるい空気と一緒に、この匂いが入ってきていた。シャキッとしない空気としか捉えていなかったけれど、そのなかに花の芳香が、確かに紛れていた。爽やかな香りとは違うけれど、初夏に向けての、季節の香りだ。
ツツジの少し癖と重みのある匂いも、不定期にやってくる「そういう日」も、好きだとは言えないけれど、その複雑さとか、趣を感じられるようになったんだなと思いながら、家の鍵を開けた。
20230422 Written by NARUKURU
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