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服について。

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服が大好きだ。そして「ファッション」が死ぬほど嫌いだ。 衣服こそが人類を人類たらしめている理性と知性の象徴だと思う。
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限界ルネサンスに限界ファッションの夢を見る 『限界芸術論』

「限界」。ここから「限界ファッション」について思いを馳せてみる。現状、オチはない。 『限界芸術論』 鶴見俊輔、ちくま学芸文庫、[1967]1999 「修羅」とは、各個人の中にある外面化されていない分身であって、これが各個人を底のほうからつきうごかして彼を現状に満足させず、彼をして、未来への彼なりのヴィジョンを投影させる(p77) 「際」『限界芸術論』の「限界芸術」、「限界」という概念・考え方から飛躍して、個人的な興味関心に引きつけて「限界ファッション」について考えてみた

自分のかっこいいを信じる 大好きなものたちを着て...考える

あの無敵感。あの疾走感。この服たちはそれを俺にくれる。 ...という話と、自分の中でもやもやと、まだ結論に至る事のないことを悶々と。 特撮関連の服たち どっか小さなブレイクスルーここ数年でようやく特撮と服を同席させられるようになった。服が好きだ。特撮も好きだ。それでも、両者はそれぞれ自分の中で独立していた。 でも、特撮の服は“ファッション”にはあまり合わない、と思っていた。ディズニーやピーナッツ、有名なバンドのものならまだしも、だとか。“ファッション”に認可された服し

服は違和感を生み、問いかける 青木のジャージ

うちのタンスの中には、他人の服がある。たしかに俺の服なのだけれども。 青木のジャージ 服は違和感を生む服は一種、自分の一番近く半径0mに環境を生み出す装置だ。自分の内とも外とも判別のつかない境界のようなそんな環境を生み出す装置だ。例えば、着ていることを忘れてしまうような服は居心地のいい環境を起こす。気兼ねがないから、そのほかへと自らをやつすことを加速させる。一方で、己の自分観を揺るがすような強烈な環境も生み出すことができる。卑近な例えを言うなら、「男性」として育った男性が