酔った言葉も避けている
以前、noteで文章を書く時は感情的な言葉を避けている、ということを書きましたが、それに類することで思うのは、私は自分に酔ったような言葉も使うことを避けています。
自分に酔う、というのは要するに自分の言動にうぬぼれることですが、自分の言動にうぬぼれた時はやはり使う言葉にそのうぬぼれが表れるように思います。独善的な言い回しになったり、論理の飛躍が合ったり、結論ありきで文章を書いたり。一番露骨なのは無暗に詩的な言葉を使いたがることでしょうか。普通は使わない表現を用いたり、隠喩を多用したりしてしまいます。
自分がそういう言葉や言い回しをしたくなったら、「あ、俺今自分に酔ってるな」と思って書く手を止めます。
自分が過去書いていた雑記帳を読み返すと、当時の自分に酔っていた文章をよく見かけます。苦悩する自分に酔っていると言いますか、自分を悲劇のヒーローに見立てて酔っていると言いますか……。今読み返すと「痛いなぁ」というような文章を書いてしまっています。
Xで投稿するポストも時々自分に酔ってるなぁという内容のものもあります。Xはnoteと違って140字という少ない文字数のものなので、詩的な言い回しが合ってしまうんでしょうね。
あと、SNSなので「いいね」の数が表示されるのも自分に酔いやすくなる原因の一つかもしれません。「あー人に注目されてるー」っていう感覚を覚えてしまいます。
noteもSNSの側面がありますので、そういう意味では自己陶酔に陥る危険性はあるのですが、私にとってnoteを書く理由の大部分が人に見せるためではなく、自己探究のためなので、Xほど自己陶酔の誘惑に囚われずに済んでいる気がします。でも時々負けそうになります笑
もし読んでいただいている方で「これは自分に酔ってる文章だろ!」というのがあったらむしろ是非御指摘いただきたいと思っております。
私が自分に酔う言動をする時は、人からの視線を気にする時が多いです。その意味で、コメント欄で交流のあるnoteは常に自己陶酔の罠に陥る危険性があるとも言えます。
じゃあ自分しか読まない雑記帳にでも書けよって話かもしれませんが、先ほど述べたように自分しか読まない雑記帳でも酔った文章を書いてたんですよね、私……。
あと、やっぱり書いた文章を人に読んでもらいたいじゃないですか!「スキ」や「コメント」もらえたら嬉しいし!ま、完全な自己承認欲求何ですけどね笑
自分に酔った言葉を使ってしまうと、自己探求という内向きの注意より、他人の目を気にする外向きの注意になってしまうので、本来noteでしたいことから全く外れてしまいます。
なので、自分に酔った文章を書きたくなってしまった時は、その日はnoteを書くのを止めて別の作業をしたりしています。
あと、ここに書いたのはあくまで私個人の症例なので、他の方が書いている文章でここに書かれた特徴のある場合に「この文章は自分に酔って書いてる!」と決めつける意図はございませんので、その点については御理解いただけると幸いです🙇
本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
最後まで読んでくださりありがとうございました!