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現代の生き菩薩

 先日の甲野善紀先生の講習会で、前回記事にした話とは別のお話。
 甲野先生が山元加津子さんという元養護学校の先生だった方にお会いして、非常に影響を受けたということで、その山元さんから聞いたお話を聞かせてくださいました。(山元さんと甲野先生がお話した内容をボイスレコーダーに録っていて、それを聞かせてもらいました)


 山元さんが何かの用事で電車に乗った時、乗車口が開いて電車に入ろうとしたら、極道と思しき強面の男性が若い男性をちょうど殴ろうとしている場面に出くわしたそうです。その光景を見た山元さんは無意識にその強面の男性に後ろから抱き着き、「怖くない、怖くないからね。大丈夫、大丈夫」となだめていたそうです。

 山元さんは当時養護学校の教員をされていて、強面の男性が若い男性を殴ろうとしている場面を見たとき、なぜかふと、いつも世話をしている養護学校の生徒さんの姿が頭に浮かんだそうです。そして、自分でも意識しない内にいつの間にか後ろから抱き着いてなだめていたそうです。

 その強面の男性(本物の極道さんだったそうです)は、なだめられて涙をこぼしたそうです。
 その後、山元さんの目的の駅に着くまで電車の中で二人はお話をしたそうです。別れ際、山元さんが折角お友達になったのに別れてしまうのは悲しいですね、みたいなことを言ったので住所をお互い教え合って文通するようになったそうです(今ではline友達だそうです)。
 その極道の方からは「俺は優しい極道だから良いけど、知らない人に名前や住所を簡単に教えちゃいけないよ」と言われた、と山元さんは笑いながら語っていました。


 ボイスレコーダーでは山元さんの声でこの逸話が語られていたので、「これは本当の話だな」と納得する何かがその声から感じられました。頭で考えたり、理屈をこねまわして出た行動ではなく、真心から出た行動だと思いました。仏教的に言えば慈悲の心でしょうか。
 甲野先生は山元さんを評して「悪意を産まれてくる時に母親のおなかに置き忘れた人」と言っていましたが、言い得て妙だと思いました。
 
 私は産まれてくる時に悪意をちゃんと携えてきたので、残念ながら山元さんのような真心で行動するようなことはできませんが、山元さんのような人がいるというのは人間の在り方の可能性の一つを見れたような気がします。
 前回の記事で紹介した甲野先生のお話で「人は現実にあり得ると思えることは実行できる」というお話がありましたが、山元さんの逸話を聞くことで、私も今よりも人に慈しみを持って接することができるような気がしてきました。
 「話を聞いただけでできるように思うなんて単純だな」と思われるかもしれませんが、全くその通りで私はかなり単純な性格なのだと思います。また、私は人の言うことを簡単に信じてしまう性格なので、それも影響していると思います。
 ただ、私は思うのですが、どうせ信じるなら自分の心が楽になるようなことを信じたいです。例えば「人はどこまでいっても自分のことしか考えない生き物なんだ」という話があったとして、それを信じることで心が楽になる人はそれを信じても良いと思いますが、私はむしろ心が苦しくなるので、その話よりは山元さんのお話を信じたいと思います。


 「今の時代にも山元さんのような菩薩みたいな人がいる」ということを知れただけでも、心が軽くなりました。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!