対―個人、対―社会

怒涛の卒論・修論口頭試問週間が終わった。この時期は、自分が指導した人とそうでない人もひっくるめて、たくさんの学部生、院生の論文を読むのだが、所属している学部学科の「公共政策―福祉社会」ラインはやはり市民参加、地域福祉、ソーシャルワークの論文が多い。

(ちなみにうちのゼミは、全然福祉してない。学生には「うち社会学ゼミだから」と伝えてある。)

調査をしてくれる学生、院生が多いのだけれど、取り上げる「事例」がことごとく「個人」のケースなんだよね。Aくんの事例、Bさんの事例。これは実習指導をしていても同じ。事例=個別のケース。

そりゃ、現場のワーカーさんがまずケースに優先的にあたらざるを得ないのはよく分かる。行政系(生活保護の窓口、児童相談所)なんてまずケース持ってなんぼ、だし。でもさ、ソーシャルワークの半分だけだよね、個別ケース対応って。

ソーシャルワーカーが、その集団やコミュニティや地域をどう変えたか、って論文がほとんどないのは、多分、我々教員の指導も悪いんだけれど、まずもって現場がケースに追われている、っていのがあるんだろうな。

だから生活困窮者自立支援法なんて典型的だけど、「個別支援」と「包摂的コミュニティの創造」の両立を目指して作ったんだろうけど、支援メニューがやっぱり「個別支援」のメニューの羅列に見えるので、窓口で来た人に対応する、という「ケースワーク」にならざるをえないらしい。しかもそこにある「自立観」が就労自立に過剰に偏るものだから、アルバイトがゴールとして目指されちゃったりする。

このエントリを見ている対人支援のフィールドの方にちょっと聞いてみたいのだけれど、学生が「◯◯さんはケース持ってない時はどんな仕事されてますか?」って聞いたら、「ムッ」とされますかね。

「そんな時間存在しないよ!」「ケースこなすだけで精一杯!」だと思うんですよ。

いや、でもね、ほんとに困ってるんです。「実習で事例持ってきて」っていうと個別ケースばっかり持ってくるので。「組織とかコミュニティとかの事例なかった?」って聞くと「見えません(ありません)でした…」。

本来は社会福祉協議会とか、でっかい社会福祉法人は「対―社会」の仕事せえよ、という期待を受けているわけだから、社会福祉法でわざわざ「社会貢献」を義務化する、なんてお国に言われるのは正直、不本意だと思うんですよ。だって「対―社会」の仕事をするから「社会」福祉協議会だし、「社会」福祉法人なわけだから。

あ、あと最近話題の地域包括ケアも、「対−個人」のイメージしかないと「え、なになに」ってなっちゃうと思う。その点をしっかりと描いた竹端さんの仕事は稀有だと思う。

noteで見つけたワタナベ・J・フォックスさんの赤ちゃんデイサービスがなんで「対―社会」なのかといえば、雇用者の生活コミュニティ変えちゃってるから。働く人が保育園に子ども預けて保育士さんと子どもで「対―個人」、自分がデイサービスに介護士として行って、介護士と高齢者で「対―個人」、ハイ完結、が正直いまの現状ですよ。社会もコミュニティも特段変化してない。そりゃ、金もかかるし、設備もいるよ。

20年前に「富山型」の宅老所を知った時には「これは斬新だ!」と思ったけど、これは「対―個人」×2をくっつけて、「クライアント同士の相互支援を引き出す」という点が新しかった。赤ちゃんデイは「対―個人」×3(親のニーズ、子どものニーズ、高齢者のニーズ)やってるから、更に斬新。

では、最後にもう一度。

「◯◯さんはケース持ってない時はどんな仕事されてますか?」



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