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走れ!ライトマン#6

ファンの熱気高まるカタコリドームに初めてやってきたのは、入社する3年程前のことであった。

北沢は当時付き合っていた彼女の母が野球のチケットをもらったからと、野球観戦に行ったのだ。
にわかにも関わらず、3塁に近い指定席だった。
地元の弱小野球チーム、中枢ミソゴンズVS大阪の狂犬チーム、阪々ワンワンズの試合だ。

阪々ワンワンズはその当時、良い外国人選手をトレードしたとのことで、人気絶頂。
中枢ミソゴンズの本拠地で試合を観戦するも、3塁側というのは相手チームの観客が多く、非常に居座りずらかった。

野球の右打ちも左打ちもわからなかった北沢に、当時の恋人は右打ちか左打ちかを逐一教えてくれた。

試合はミソゴンズの調子がよく、ミソゴンズ外国人選手、ササエモのヒットによって開幕戦初の勝利を収めたのだった。
本拠地での勝利とは非常に華々しく、煌びやかだと北沢は思った。

試合MCも観客も、選手も、全ての息が、感覚があっているように感じたのだ。

人はこの勝利をミソホーと呼ぶらしい。

そんな経験をし、その時の恋人とは大学卒業とともに決別した。

そして、今。
北沢はまたカタコリドームに訪れていた。

そう、野球の取材である。

Aカメ、Bカメに分かれて取材をする。
Aカメは上から、Bカメは下から撮影するのだ。
仕切りはあるものの、芝の上で撮影をする。

ちなみに、Aカメ位置のライトマンは基本大変なことは少ないが、Bカメのライトマンのやることは多い。

今回は、中枢ミソゴンズの切り札、投手松永哲夫の復帰戦なのであった。

それを撮りに行く。


Bカメ担当のライトマンの仕事、それは、本拠地の野球チームの勝敗で大きく変わる。
北沢は、野球取材を任されて何度か取材に出向いているものの、一度もミソホーに巡り合ったことがなかった。

本拠地のチームが勝てないのは本当に惨めな気持ちになるもので、取材終わりも何となく憂鬱である。

担当カメラマンは水上さん。
以前、榛名を超絶怒っていた、キレカメラマンだ。
水上さんは機材室の中でも髪が伸びるのが早く、いつも髪を後ろに束ねている。
水上さんは基本的に、顔もでかいし、声もでかいし、なんだったら、顔のパーツ全部でかい。
しかも175cmほどの長身で、ぱっと見イケおじだが、怖いから全部がチャラになるような男だった。

正直、水上さんと一緒に仕事になると、胃が痛くなる。
今日の復帰戦でも、憂鬱すぎて胃が痛くなった。

野球取材の流れは、こう。

まず、本日の注目選手、松永哲夫の練習風景雑感。
次に試合までに昼ご飯を済ませ、試合のためにBカメ席で椅子や、カメラマンが撮影する内容を見ることが出来るように代理ビジョンをセッティングする。
試合が終われば、MVPの選手にヒーローインタビューをして終了だ。
試合中は基本的に何が起こったかを指定の紙に書くだけなので、基本的には試合観戦を楽しむようなもの。
だが、勝っても負けてもお祭り騒ぎなプロ野球は、試合後が最も大変なのだ。

中枢ミソゴンズVS阪々ワンワンズ、果たして勝利の女神はどちらのチームに微笑むのか!?
そして、ミソゴンズ注目選手、松永はMVPになれるのか!?
水上さんに怒られすぎて胃が縮まないか!?

果たして……!


松永選手の練習風景を難なく抑え、昼ごはんも済ませ、いよいよ試合開始だ。
試合の開始前は恒例の始球式。

投球するのは、人気お笑い芸人、カブ カブト。
軽快なリズムネタを披露するが、水上さんの様子がおかしいことに気が付いた。

「誰だよ!!!」

ドームは活気であふれ、音楽もMCの声も響き渡るので、水上さんの怒号はそう簡単に周囲には聞こえない。

「こいつは、誰なんだ!誰なんだよ!」

カブ カブトを知らないという理由だけで、怒り始めたのだ。

「お前、知ってるか!?」
「し、知らないです」
「んだよ、クソ」

本当は知っていたが、水上さんが怖かったので知らないことにした。

そんなこんなで試合が始まった。
スタメン投手はもちろん松永哲夫!
キャンプから肩を脱臼して試合には出ていなかったが、日本の魔物として恐れられたほどの手強い投手なのだ。
観客の視線がなんとも熱い。
声援が輝かしい。

1回裏、期待に満ち溢れたマウンドに、松永がいよいよ上がった。

緊張の一瞬。

投げれば、ストライクであっという間に三振!
と、うまくいくことはなく、

ボール、ファウルを繰り返し、相手チームを塁に送る。
しかも、出るわ出るわのヒットの数々。

松永は打たれに打たれていた。
あれほど盛り上がっていた観客は声を失ったようにしんとしていた。

水上さんも「ああ???」とか「おいおい!!!」とか言いながらカメラを回す。

ゆっくりと時が過ぎ、やっと2回の表。
吃驚仰天、すでに0-3!
松永は1回の表で、なんと驚異の8安打を許したのだった。

「ミソゴンズ、ピッチャー変わりまして、中尾牛木丸」

松永はマウントを早々と降りた。

中枢ミソゴンズあるある。
誰か一人の調子が悪いと、チーム全体もなんとなく調子が悪くなる。
不思議なものだ。

ミソゴンズの強みは、堅い守備。
飛んできた球を受けそこなうことなく、……。
いや、今日はとてつもなく受けそこなう。

守備がいいだけあってなのか、攻めが弱いミソゴンズ。
なんとかボールのみで塁を移動する選手たちでコツコツ駒を進め、ようやく1点を獲得したのだった。

前半戦から負け確定。
7回目を目前に、応援歌が流れる。

「♪~、勝つぞ!~♬」

絶対勝てないから、めちゃくちゃ気まずい。

結局、7回以降から巻き返しがあるわけもなく、1-6で阪々ワンワンズに大敗したのだった。

さて、大敗した後が、今回の仕事で最も重要なのだ。
そう、先述した通り試合中よりも試合後がとにかく大変なのだ!

相手チームのMVP選手のヒーローインタビュー。
なんとも惨め!
立ち膝をついてインタビューを見守るこの姿、まさに大敗の証!

3塁側のカメラマン席にあわせて1塁側(Bカメ)のカメラマンとライトマンは走って陣取りを行わなければならない。
ちなみにBカメ席には1メートルほどの柔らかい柵があり、それを飛び越えなければならないのだ。
そして、カメラ後ろの3ピンメスにケーブルを差し込み、ゴツめの超指向性マイクを取り付けて、インタビュー係の姉ちゃんに手渡す。
それからは、カメラマンの後ろについてヒーローインタビュー終了後、マイクケーブルを抜き、とっとと帰り支度を進める。
はずだったが、すぐ隣にいたNRNR放送局のカメラマンの肘が北沢の脳天を直撃した!

「ごめんごめ~ん!」

脳が揺れ、視界をも揺れた。
咄嗟には動けなかったその時、

「お前なにグズグズしてんだ、早く抜け!!」

水上さんの超怒号。
距離はあったはずなのに、水上さんの表情が眼前まで来ていた。

小さな声ですみませんとこぼすように言い、ケーブルを抜いた。

少し正気に戻ると、汗がどっと噴き出てきた。
これから局に戻るために、直ちに持ち場を片して、水上さんを待たせないようにしなければならない!

一心不乱に走った。
Bカメの柵を飛び越えた。
片付けの手は止まることなく、鞄に荷物を詰めるが、全然詰められない。

時すでに遅し、水上さんはもう怒っていた。

「なにもたもたしてんだ早くしろ帰るぞ!!」

疲労感でいっぱいで、返事もできなかった。


北沢は知っていた。

北沢が野球取材に行くと必ず大敗するということを……。
そして、機材室メンバーから「ベースボール疫病神」と呼ばれていることを……。


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