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用間篇 第十二(新解釈/竹簡孫子)

【現代訳】
孫子は言う。「およそ十万人規模の軍隊を編成し、千里の彼方に派兵するとなれば、国民の家計や政府の財政は、一日に千金もの戦費を負担しなければならず、国民は国内外で慌ただしく働き、物資の輸送に駆り出されて疲弊し、耕作に専念できない農家の数が七〇万戸にもなってしまう。このように戦争とは、大変な戦時生活を何年にもおよんで継続して、たった一日の決戦で勝敗を争うのである。そうであるのに間諜に爵禄や百金の報償を与えることを惜しんで、敵情を精密に調査しないのは、不仁の至りです。それでは大軍を率いる将軍の資格はないし、君主の補佐役としても失格です。そのような者が勝利を主催する将軍である訳はないのである」と。

そこで聡明な君主や智謀にすぐれた将軍が、軍事行動を起こせば、必ず敵に勝利し、大きな成功を収めることができる理由は、予め敵情を詳細に収集する「先知」によります。
「先知」で収集する情報は、神の御告げなど占いによるものではなく、自然界の事象から読み取るものでもなく、天の法則につきあわせる物でもありません。必ず人によって敵情を収集するのが、「先知」なのです。

そこで間諜・スパイを使う方法として次の五種類があります。「因間」「内間」「反間」「死間」「生間」の五つです。これら五種類の間諜・スパイが並行して活動しながら、互いの存在や活動、その真相を知らないのは、まさに神妙な統括と言えます。民衆を統治する君主としてこれ以上のものはありません。

「生間」とは、間諜を敵地に派遣し、情報を生きて持ち帰らせるスパイです。
「因間」とは、敵国の民間人を間諜に仕立てて情報をもたらすスパイです。
「内間」とは、敵国の官吏を間諜に仕立てて情報をもたらすスパイです。
「反間」とは、敵の間諜を我が国の間諜に仕立てあげて二重スパイとして利用ことです。
「死間」とは、偽りの行動を実際に起こした上で、敵国に侵入した我が国の間諜を使って情報を操作し、敵の出方を待ち受けるスパイのことです。

このように間諜は、特に重要で危険な仕事でありますから、全軍の中でも君主や将軍との関係でこれ以上に親密なものはなく、貰える褒賞金も間諜よりも手厚いものはありません。間諜の仕事ほど秘密を要するものはないのです。 

だから「聖」と讃えられる英邁なリーダーでなければ間諜を使いこなすことができないのです。仁によって一体感を作り出せなければ、間諜を使いこなすことはできないのです。一見すると気が付かないような小さい事象を察知できなければ、間諜のもたらす情報を最大限に活用することができないのです。 

なんと微かで奥深いことよ。およそ軍事に関わることで、間諜を利用しない分野など存在しないのです。もし現在進めている諜報計画において、実行するよりも先に、情報が他より漏れて聞こえてきたならば、その諜報に関わる間諜と秘密について話していた者を、死罪にしなければなりません。(間諜はそれほど重い任務を負っているのです)

だから撃破したい敵の軍隊や城邑、暗殺したい要人がいるのであれば、必ずはじめにその守備に当たる将軍、将軍の側近、取次役、門番、秘書の名前を、予め割り出しておき、我が間諜を用いてその身辺を探り、必要な情報を調べさせるのです。

「用間」の要諦は、敵の間者を絶対に見つけ出す事です。
つまり敵国から来て我が国を探る間諜の動きの逆手をとって、反対に彼らに利益を与えて、我が方に誘い込んで寝返させるのです。そうやって「反間」を獲得して諜報活動に利用するのです。「反間」によって初めて敵情を知ることができます。

何故ならば「反間」によって「郷間」や「内間」を見つけ出して、我が方のために用いる事ができるからです。「郷間」や「内間」がいて、はじめて広範囲に敵情を知る事ができます。そして「郷間」や「内間」などの間諜を潜入させる事で、「死間」も偽りの行動を起こして、敵に虚偽を伝えることができるようになります。

そして「死間」の働きがあってこそ、はじめて高度な諜報活動ができるようになります。この「死間」の動きに便乗することで、初めて「生間」も予定通りに活動することができるようになります。

この五種類の間諜を使いこなせば、必ず敵情を探り出す事ができますが、諜報活動の成功のためには、何よりも「反間」が重要です。だから「反間」の待遇を何よりも手厚くしならないのです。

殷の王朝が天下を取った時、功臣だった伊摯は、敵の夏王朝に間諜として潜入していました。周が天下を取った時、殷の軍師太公望(呂牙)は、敵の殷王朝に間諜として潜入していました。
ただただ聡明な君主と智謀に優れた将軍だけが、非凡な知恵者を間諜として使いこなす事ができ、その事をもって強大な敵国を打倒する大業を成し遂げられるのです。これこそが、軍事の要諦であり、全軍が勝利の頼み綱とするべき根拠なのです。


【書き下し文】
孫子曰(く、凡そ師を興(お)こすこと十万、師を出だすこと千里なれば、百姓の費(ついえ)、公家の奉、日に千金を費し、内外騒動し、道路に怠(つか)れて、事を操(あやつ)るを得ざる者、七十万家。相(あ)い守ること数年にして、以て一日の勝を争う。而るに爵禄(しゃくろく)百金を愛(おし)んで敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。人の将に非(あら)ざるなり。主の佐(たすけ)に非ざるなり。勝(かち)の主に非ざるなり。

故に明主・賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出づる所以の者は先知なり。先知なる者は、鬼神に取る可からず。事に象(かたど)る可からず。度(たく)に験(けん)す可からず。必ず人知に取る者なり。

故に間を用うるに五あり。因間(いんかん)有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶(とも)に起こりて、其の道を知ること莫(な)きは、是(こ)れを神紀(しんき)と謂(い)う。人君の宝なり。

生間とは、反り報ずる者なり。
因間とは、其の郷人に因りて用うる者なり。
内間とは、其の官人に因りて用うる者なり。
反間とは、其の敵間(てきかん)に因りて用うる者なり死間とは、誑事(きょうじ)を外(そと)に為(な)し、吾が間をして之れを知ら令(し)め、而て敵に待つ者なり。

故に三軍の親は間よりも親しきは莫(な)く、賞は間より厚きは莫く、事は間より密なるは莫し。聖に非ざれば間を用うること能わず、仁に非ざれば間を使うこと能わず、微妙に非ざれば間の実を得ること能わず。密なるかな密なるかな、間を用いざる所毋(な)し。

間事未だ発せずして聞こゆれば、間と告ぐる所の者とは、皆な死す。凡そ軍の撃たんと欲する所、城の攻めんと欲する所、人の殺さんと欲する所は、必ず先ず其の守将・左右・謁者(えつしゃ)・門者・舎人(しゃじん)の姓名を知り、吾が間をして必ず索(さぐ)りて之れを知ら令(し)めよ。

必ず敵人の間を索(さが)し、来たりて我れを間う者は、因りて之れを利し、導きて之れを舎(やど)らしむ。故に反間は得て用う可きなり。是れに因りて之れを知る。故に郷間(きょうかん)・内間を得て使う可きなり。是れに因りて之れを知る。故に死間も誑事(きょうじ)を為して、敵に告げ使(し)む可し。是れに因りて之れを知る。故に生間も期の如から使む可し。

五間の事は、必ず之れを知るも、之れを知るは必ず反間に在り。故に反間は厚くせざる可からざるなり。殷(いん)の興こるや、伊摯(いし)は夏(か)に在り。周(しゅう)の興こるや、呂牙(りょが)は殷に在り。惟(た)だ明主・賢将のみ、能く上智を以て間者と為(な)し、必ず大功を成す。此れ兵の要にして、三軍の恃(たの)みて動く所なり。

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