見出し画像

大根の教え

内村鑑三の「代表的日本人」にも紹介される上杉鷹山公。その師匠、細井平洲先生の教えが書かれた「櫻鳴舘遺草」では、

人の上に立つもの、人を教えるものは、農家が、小さい大根、曲がった大根、どんなものであっても少しでも生育するようにし、鑑賞用の花のように出来栄えを評さないと書いています。

目下や教え子に対して、こいつはものになるとか、大したことがない、使える使えないという感情が出て、フィルタをかけたり、差を出してしまうことは、人を教え導くものとして、自覚に欠けるのかもしれません。

現在の教育は、出荷できるように形を揃えるようなものだとすると、人徳のあるものの教えは啓育であり、各々がよく力いっぱいに生育する助けになることだと言えます。

知識があることが先生の資格ではなく、農家が農作物を愛するように、いびつであっても自分で生育しようとする心を助長することが大事ですね。

ある一定の年になったら、同じ会社の部下であるとか関係なく、全ての若者をこの姿勢を接して、成長を助けるような人間でありたいと思う次第です。それが社会をよくすることだと思います。

年配者が自分の経験で判断し、成長に蓋をし、型枠の中に抑えようとすることは社会の分断を促すだけです。

ただでさえ、能力主義で、年配者よりも稼げる若者が多い中、価値観を抑え込むのは全く効果がないばかりか、悪い影響があると思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?