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パ・チック・スパゲッティの自己解釈🍝

※この解釈は原作小説1周、舞台2回、アフタートーク1回観た人間のうろ覚えな知識で行われています。乱文等多々見受けられると思いますが、ご容赦願います💦
また、この文は鑑賞済の方向けです。YouTubeにフルの動画がございますので、未視聴の方はご覧の上読んでいただけると幸いです。

まず、この舞台のテーマは
無思考の恐ろしさ
である。(これはアフタートーク情報なので確実)
無思考の恐ろしさを、目を奪われるという描写で表した舞台であるという仮定の上で話を進めさせていく。

大まかな流れとしてこの舞台は
①グゥちゃん(主人公)が同じ日常を繰り返す▶️②おばあさんを助けたことで飴を貰い、そこからおかしな世界へ▶️③元の世界に戻ることを望み、おそらく元の世界へ戻って終わり
では、①から順を追って説明していこう。

まず、グゥちゃんは毎日毎日同じことをして生きている。多少の誤差はあれど、基本的には
目覚める▶️身支度▶️仕事▶️帰宅
の4つを繰り返して日々生活しているのだ。
これは学生にも社会人にも言えることだが、大体いつも決まった時間に起きて、決まった時間に家を出て、決まった時間に決まった車両に乗り、決まった場所へ向かい決まった事をして決まった時間に帰る。
これを繰り返すと、人は無思考状態に陥る。
何も考えなくても職場や学校に合った服装に着替えたり、何も考えなくても昨日と同じ車両に乗り込む。
劇の半分近くをその描写に費やすことで、グゥちゃんがなんの疑問も感じずに、無思考で日常を送っている事がより強く観客に印象づけられるのだ。
そしてこのシーンは、どの観客にも当てはまる・共感ができるシーンであるとも言える。
更にこれは原作小説からの情報だが、グゥちゃんは極端に無思考なのである。
自主性がほぼ全くと言っていいほどないのだ。
朝はおじいちゃんに起こしてもらい
お昼は同僚のエナちゃんに誘われない限りは空腹であろうが行かない
一流のシェフが作ったと言われているからこのスパゲッティは一流だと思い
嫌味にすらこの人が言うならそうなのだろうと納得してしまう
無思考状態に慣れてしまった結果、自分の意思がなくなってしまったように見える。
それでも毎日可もなく不可もなく、ほんの少しの幸せとともに生活をしているのだ。

それが崩れ去るのはあるおばあさんとの出会いだ。
乗客や同僚がスルーする中、(おそらく)閉所恐怖症のおばあさんを助けたグゥちゃん。
お礼に貰ったのは幼い頃から憧れ続けていた大きな飴玉。
この飴玉を食べたことで不思議な世界に迷い込む訳だが
ここで2つ(個人的に)重要なことがある。
まず1つは、飴玉について
この飴玉は、目玉(視力)を暗喩していると思われる。
飴玉を舐める=視力の回復と考えて欲しい。
しかしここで気をつけて欲しいことがひとつある。
それは何かと言うと、飴玉は本当の目玉ではないのだ。
即ち、視力の回復も本当に目が良くなったということでは無いのだ。
では、視力の回復とはなんだろうか?
これ即ち、現実を見る能力を得ることである。
もっと簡単に言うと現実逃避が出来なくなることである。
何故飴玉によってこのような表現をしたかに関しては
・飴玉の形が目玉と似ている
・幼い頃、飴玉を舐めることで忘れたい事を忘れられた(要約)という事実がグゥちゃんの中にあった事から、
嫌なことを忘れられる物=飴玉という思考回路がグゥちゃんの中で出来上がっていたから 
だろうと思われる。

ここで2つ大きなネタバレをさせてもらおう(未視聴の方は逃げて)
ひとつは、
グゥちゃんの祖父は死んでいたのである。
しかも恐らく2年以上前に。
現在手元に原作本が無い為不確かな数字ではあるが、確実に死後ひと月以上は経っている。
詳細は省くが、最愛の祖父が自身の仕事中に自宅で死んでしまっていたのだ。
自分が仕事を休んでいれば、もっと優しくしていれば…
グゥちゃんはきっと自分を何度も責めたのだろう。
その結果、祖父が死んだという現実から目を逸らしてしまったのだ。
もうひとつは、同僚エナちゃんから嫌がらせを受けている事実だ。
この嫌がらせも、舞台では無視やフォークを投げるなどの程度だったが、原作ではもっと陰湿なのだ。
嫌味めいた言葉を言われたり、毎朝制服の背中にシールを貼られたり(それをお局さんに注意されるまでがセット)。
前述した昼食に誘われなかったことも、グゥちゃんの性格をわかった上でわざとやったように私には思える。
仕事を辞めたりする程ではないが、毎日されていると気が滅入ってしまうような。
まるで裁縫針でチクチクと刺されるような…そんなことを毎日されていたのである。
辞めてとも言えず、また、祖父の死などとも時期が重なったのだろう。
グゥちゃんは虐められている事実からも目を逸らしたのだ。
その結果、彼女は盲目……要するに、現実逃避をする事になってしまったのだ。
更に言うと、現実と逃避した世界の齟齬を感じても無思考になる事で気付かないふりを続ける事になってしまったのだ。


さて、もう1つネタバレをさせていただこう
グゥちゃんが助けたおばあさんは、グゥちゃんの幻覚(もう一人の自分)なのである。(これはアフタートークでの情報である)
グゥちゃんの中のもう一人の自分こそがあのおばあさんなのである。
グゥちゃんが作り出した人間なのだから、同僚や乗客には見えなくて当然だ。

ここからは私の完全なる妄想で語らせてもらおう。
グゥちゃんは、現実逃避をする過程で自分の中にもうひとつの人格をつくりあげた。
それこそがあのおばあさんなのである。
現実を逃避し続ける自分の代わりに、現実を見つめ続けるおばあさんの人格を作りあげたのである。
しかし、グゥちゃんが現実を逃避しきれなくなった事により、おばあさんが現実を突きつけにやってきたのである。
記憶を閉じ込めた飴玉を舐めさせることで、逃避し続けていた現実に目を向けさせようとしたのだ。
しかし、飴玉をひとつ(=½�の現実)しか舐めなかったことから予期せぬ事が起きてしまった。
グゥちゃんの中で、現実と現実逃避の世界がゴチャゴチャになってしまったのだ。
その結果こそ、舞台終盤の激しいダンスシーンである。
現実の人々と、妄想の人々が入り交じり踊り狂う。
どれが本当でどれが嘘だか分からなくなり、振り回され続ける。
振り回され続けた果てに、グゥちゃんは現実から目を逸らし続けることを選び、エレベーターという殻にこもってしまって閉幕


というのが私の考察である。
余談だが
最初から登場していた3人組は、グゥちゃんのイマジナリーフレンドだと私は思っている。
原作を見ていただけるとわかるが、グゥちゃんはかなり子供らしさが残る女性なのだ。
子供のまま大人になったと言っても過言ではない。
更に、おばあさんの人格を作り出してしまうほど想像力の豊かな人物だ。
イマジナリーフレンドが居ても何らおかしくはない。

結論:あの舞台は前半はグゥちゃん視点の日常、後半はグゥちゃんの頭の中を現していて、グゥちゃんが現実逃避をし続ける物語。

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