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妹の墓に

「病室の内外で皆泣くばかり」
びょうしつの うちそとでみな なくばかり
35歳で夫に先立たれ、婚家にもいられなくなり3人の男の子を連れて生家に帰った妹が、認知症に罹りました。
電話で話をしようとしても泣くばかりです。
感情の制御ができなくなり、悲しみに泣き、懐かしさに泣き、喜びに泣き、泣くだけで言葉が出ません。
3人の子を育て上げ、孫も8人もいます。子も孫も優しいのが救いです。
私は行くことができませんが、見舞いに行ってきた妹たちの話では直接会うことも許されず、病室の内と外で病気の妹と見舞いの妹が、ただ泣き合ったそうです。
食べ物がのどを通らず、点滴だけで生き延びています。
生きていることが却って可哀そうに思えてきました。

主よ!御元へお迎えください。お救いください。アーメン

1月22日に妹は死亡しました。食べ物を受け付けなくなり、点滴も自分で抜いてしまう。仕方なく足から点滴したそうです。
足下が危なくなった私には寒中の信州へゆくことができません。
葬儀も四十九日も欠礼して、五月15日に行って、墓の前で神様にお祈りしてきました。


妹の墓に参った後、甥とその連れ合いにあってきました。
私は親族の中では最年長になりましたが、家を出ましたので生家は甥の家族とその連れ合いの世代になっています。
妹は私が紹介した男性と結婚したのでしたが、11年目に交通事故で夫を亡くし、10歳を頭に3人の男の子を連れて生家に帰りました。
その次の年に火事で生家が全焼、その年の暮れに祖父が老衰死するなど多難な人生を送りました。
私は妹から交通事故の保険金を預かって、土地を買い、アパートを建てて家賃を送り、少しは助けたつもりです。
子供が成長したので、自分と子供で運用したいのでアパートを買ってほしいと言われて私が買い取りました。
13年間のアパートの家賃が地代と建築費(つまり交通事故の保険金)とほぼ同額位でした。
土地は多少値上がりしましたが、木造の建造物は13年も経つとほとんど評価されません。私の買取価額は妹から預かった保険金と同額でした。
今私はそのアパートに住んでいます。建物が古いのでメンテナンスに金をかけて、外国人専門の住居にしています。
ゴミの処理など、アパート管理者がいないと近所に厄介をかけます。同じアパートに住んでいるので、空けておくことが少なく何とかやってゆけますが、足腰が弱って、先が長くないのを感じています。


2022年5月17日 記


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