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だつて、駆け出さなくちやあ、間に合わないぢやあないか。

芥川龍之介の「微笑」で、久米が言った言葉である。



私は今大学一年の年で、大学生活は中々に楽しくない。ここが良いと思って選んだ学科だったが、入ってみたら全然良くなかったのだ。

親がお金を出してくれているのに、本当に自分のやりたいことをやれていないような気がしている。
この無力感と、確信を持てない自分がどうしようもなく嫌いだ。

私は美大に通っていて、絵を描いているが、これからも絵は続けていきたいと思っている。
生業にしたいが、決して安定した収入が得られるわけではない。
「私はそれでもかまわないが、親が心配するだろうな」
大学生になってから、そんなことを頻繁に考えるようになった。


将来への不安とか、夢とは対称的なお金の問題とか、色々なことを考えるようになっていた私は、この間、noteを読んでいたら微笑を紹介している文章を読み、気になって読んでみた。


『だつて、駆け出さなくちやあ、間に合わないぢやあないか。』



これほどまでに、文の一節の意を手に取るようにわかったのは初めての経験だった。

今駆け出さなくちゃ、何か大切なものに、いつの間にか、間に合わなくなってるかもしれない。
何に間に合わないのか、何に間に合わせないといけないのかわからないけど、ただ時間に追われて、とりあえず、なんとなく、駆け出さないと間に合わなくなるという気持ちだけがあり、とてつもなく焦るあの時間。

私はあの時間が1番嫌いだし死にたくなる。


だから合ってるのかもわからない方向にとりあえず駆け出してみるけど、駆け出してるだけ。足掻いてるだけ。
自分でも自分が滑稽なことぐらいわかっているが、それしかやれることがないのだ。
「これが若さなのか。」とか18歳の餓鬼が考えてみたりする。

『今ではあの時のやうに駆け出す勇気などないに違ひない。』



ただ、それすらもする勇気がなくなる時がいつかくるなら、今が正解かわからなくても、どれだけ自分が滑稽でも、それまでに間に合わなせないといけないなと思う。

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