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中世ドイツの爵位について

爵位とはいいつつ、中世の貴族称号の訳語としては「爵」の字は使わないんだなこれが!公侯伯子男とかは忘れていい。

ローマ人の皇帝Römischer Kaiser
 いわゆる神聖ローマ皇帝。まずドイツ王に選出された上で、ローマ教皇に戴冠してもらえばなれる進化形。一応一番えらいけど、だからって大公とかに言うこと聞かせられるかどうかは別に…法廷に呼んでも来てくれないし…
 王にはなれても皇帝にはなれなかった事例も多数。大空位時代は統一選挙が果たされず王が同時に複数いたけどいずれも皇帝にはなれなかったため「空位」時代と呼ばれる。さらに、後述するように皇帝がドイツ王位のみを息子に譲ったりするので「皇帝」と「王」は必ずしも同一人物ではない。

ドイツ王Deutscher König
 国王選挙で当選すればなれる。東フランク王とかローマ王とかローマ・ドイツ王とかバリエーション豊か。めでたく王に選ばれたら次はローマに行って皇帝になろう!旅費とか教皇のご機嫌取りとかすっごくお金かかるけど!
 あと中世のドイツは建前上は世襲王制ではなく選挙王制なので「皇太子」とか「王太子Kronprinz」という称号はありません。しいていえば継承安定を図って皇帝が息子をあらかじめドイツ王に就けたりとかの工作はする。

選挙侯Kurfürst
 一昔前までは「選帝侯」というのが一般的な訳語だったけど、選出するのはドイツ「王」であって皇「帝」ではないため最近は「選定侯」とか「選挙侯」が定訳になってるよ。1356年の黄金勅書でお馴染みの七人衆が法的に定められたけど近世以降どんどん増えちゃうよ。

大公Herzog
 中世ドイツでは「公」と「大公」の違いはないのでドイツのHerzogは基本的に「大公」と訳されるけど紙幅の都合やら音の響きやら執筆者の気分によっては「公」だけだったりするよ。ただブルゴーニュ公国とかブラバン公とか、フランスに関しては全部「公」だったと思う。ロレーヌ公(仏)=ロートリンゲン大公(独)とか。境界地域はややこしいです。
 ・中世初期の部族大公Stammherzogは史学上の分類用語なので実際に使われた称号ではないよ。
 ・太公Erzherzogはハプスブルク家のオーストリア大公ルドルフ4世が他のやつより偉い感を演出しようとして勝手に名乗りだした「ぼくのかんがえたかっこいい称号」ですが後にハプスブルクが皇帝位をゲットしたので既成事実化し嘘から出た真になってしまった。意訳するなら「大大公」的な感じだけど流石にダサいので原語を尊重する場合は「太」公の字をあてたりすることも。発音は「たいこう」で同じ。

宮中伯Pfalzgraf
 中世初期はたくさんいたけど最終的には唯一ライン宮中伯Rheinischer Pfalzgraf/Pfalzgraf bei Rheinしか残らなかったため、宮中伯(プファルツ伯)=ライン宮中伯=プファルツ選挙侯、というわけで時代が下ると共に固有名詞化した。パラティン伯は英語風の発音。なお語源が同じシャルルマーニュの「パラディン=宮廷騎士」はその人気と知名度がストップ高になり「聖騎士」みたいな訳し方をされるに至ったにすぎず、したがって「聖戦」をする十字軍等とは全く関係がない。

辺境伯Markgraf
 字面は田舎っぺ臭いけどその実は辺境警備役で権限がすごく強いからめっちゃ偉いし強いぜ。ブランデンブルク辺境伯は選挙侯位を得たしマイセン辺境伯の家系は後にザクセン選挙侯になったよ。

方伯Landgraf
 選挙侯がいないせいでぶっちゃけ影が薄いけども、ただの伯とは一線も二線も画する偉さ。というか宮中伯・辺境伯・方伯は実質的に大公と同格の地位だそうなので、「伯」という字面に騙されてはいけない。

↑このへんまでが「諸侯Fürst」。
 諸侯はざっくり訳すといわゆる「殿様」、土地持ち貴族。上級貴族身分の総称でもあり、「どこそこのフュルスト(=領主)」みたいな名乗りにも使われる。王または皇帝から直接封土を授与された直臣諸侯を指して帝国諸侯Reichsfürstという語もあるそうな。なお下位区分というか、大司教など聖職者身分を有する諸侯は聖界諸侯として、世俗諸侯と区別されることもある。

伯Graf
 ただの伯。上三者との間には超えがたい壁があるようだが、後述のヴュルテンベルク伯みたいに大公に出世したりするケースも。城伯Burggrafというのもいるけど代官Vogtと同様に地方下級貴族の称号兼役職というか。

あとフライヘルFreiherrとかあるけど面倒臭くなってきたのでこのへんで☆

【実践編】
皇帝や大貴族レベルになると複数の所領の主だったりするわけで、そのへんから適当に拾ってきた公文書の冒頭の名乗り部分をピックアップ。

「フレデリクス、神の慈悲深き助力によりローマ皇帝にして常に帝国を利する者(1158年)」
 水没皇帝バルバロッサことフリードリヒ1世の自称。イタリア政策もやってることだし、この頃の勅書はまだ国際公用語のラテン語です。

「大ルプレヒト、神の恩寵によりライン宮中伯、聖なる帝国の選挙侯にしてバイエルン大公(1386年)」
 プファルツ選挙侯ルプレヒト1世のお手紙より。公文書も場合によっては俗語であるドイツ語で発行するようになったよ。

「我エーバーハルト、神の恩寵によりヴィルテンベルクならびにデックDeckh大公、ミュンペルガルト伯ほか(1495年)」
 伯から大公に出世したエーバーハルト1世の文書。「ほか」というのは原文ママ。大したことのない所領なので省略されちゃったんでしょう。Deckhは多分テックTeckのことでせう。

「余マクシミリアン、神の恩寵によりローマ王、常に帝国を利する者、ハンガリー、ダルマティア、クロアチア等の王、オーストリア太公、ブルグント、ロッテリックLotterick、ブラバント、シュタイアーマルク、ケルンテン、クラインCrain、リンブルク、ルクセンブルクおよびゲルダーン大公、フランドル、ハプスブルク、チロル、フィルトPhirrt、キーブルク、アルトワおよびブルグント伯、ヘニゲウHenigew、ホラント、ゼーラント、ナミュールならびにズトフェンの宮中伯、神聖ローマ帝国とブルガウBurgawの辺境伯、エルザス方伯、フリースラント、ヴィンディッシェン・マルシュ、ポッテナウPottenaw、サランとメヘレンの主ほか(1495年)」
 長ぇーよフリードリヒ1世を見習ってくれよマクシミリアン1世よ。聞いたことない地名と称号たくさん入ってるしブルグント二回出てきてるし。でも中世末期はとにかく国際情勢がごたついていた時期なので、称号や所領の列挙は権威の誇示や支配権の主張という政治的意味合いもある。ところで「皇帝Imperator」ではなく、ローマ王でも名乗れる「常に帝国を利する者Semper Augustus」のみを自称しているのは彼の皇帝戴冠が1508年で、引用元の文書が発行された1495年当時は「ローマ王」ではあっても未だ「ローマ皇帝」ではなかったためです。しかもヴェネツィアに妨害されて結局ローマでは戴冠できなかったし。

画像はお馴染み七選挙侯。1340年頃成立。

気が向いたらまた。

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