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『ミュージカル・ゴシック ポーの一族』を褒め称えるだけのテキスト

宝塚での公演を経て、劇団四季出身などのスペシャリストを加入した男女混合キャストのポーの一族が全公演終わってしまいました。
宝塚の頃から評判がよく、しかしながらチケット取れず。が、なんと配信がある! ということで配信見まくってましたが、それも終了と…。

正直、宝塚公演の頃から、うっすら疑っていたりはしたんですよ。なぜなら、私は萩尾望都信者と言ってもいいくらい、おそらく8割以上萩尾望都作品を読んで育っているので。あの世界観が、まさか再現できるとは思えず。というのも、萩尾望都作品って、美しい中に巧妙な毒があるので、ただ甘いだけの世界ではなく、すごく深いんですよね。それを、清く正しく美しいミュージカルにしていいんかい、と。

んで、疑いながらみたら、まあはまりました。千秋楽から幾日か経ちますが、抜けきれねえ! 毎日原作を読んで時を超えてしまう……(仕事しろよ)。

そんなわけで、この気持ちを成仏させるために、ただ褒め称えるだけのことをします。批評も何もありません。単に吸血されそこねた人間信者が褒めるだけの、ほんとに何もない自己満足です。

まず、最初に登場したのが、加賀谷真聡さん演じるグレンスミス。ジャンプの高いこと! まるでバレエをストイックに追求してきたロシアバレエ団の人のようだった。初っ端から、これで心を捕まれましたよ。このシーンだけ、ずっと何度もみていたいくらい。でも、ホテルの支配人の役では歌も歌えるとな……。はあーっとため息。

そして、涼風真世さんが老ハンナ、福井晶一さんがキング・ポーという贅沢さ! え? 何これ、夢なの? どうみても”老”の無さすぎる美しいハンナだったけど、このお二人の圧倒的な歌唱力に支えられた威厳と言ったら、原作超え。モニターに向かって手を合わせる私。やべえ、村が日本に来た……。

んで、ポーツネル男爵が小西遼生さんだよ。おいら戦国鍋TVからのファンで、最近はミュージカルでご活躍とのことだったけど、こんなに素晴らしい俳優になられていたなんて。シーラとキスするシーンなんて、あまりに色っぽくて、”これを舞台で演って大丈夫なのか?!”と心配になったよ。
さらに、歌声も少しハスキーなのが個性的で、色気がある。原作よりはるかにハンサムに仕上がってしまったけど、エドガーと父親に見える位なら、このくらいハンサムでないと……。そして、断固とした強さと説得力。ポーツネル男爵たちが「一枚の絵のようだ」と言われるシーンがあるのだけど、ほんとに四人揃うと、現実的ではない美しさで絵のようでしたよ。

そして、シーラの夢咲ねねさん、メリーベルの綺咲愛里さんは、完全完璧に原作だった! 原作がそのまま3次元化されてしまっておる。指先の動き一つ、歌声の一声その全てが、原作のママ。原作音声付きじゃないのに。
夢咲さんは、幻惑的に美しく、そして色気が画面を超えて匂い立つよう。年月を超えた美しさ、この世のものではない妖しさ、というのを体現していらっしゃった。
綺咲さんは、子ども時代のメリーベルと、その後の2幕で成長したメリーベルを、とても繊細にかつ完璧に表現。百年近い年月を重ねながらも兄エドガーに守られた生活の中で少女のまま静止した時間を過ごしてきた残酷さ、っていうのがはっきり伝わってくる。人間が、青春の痛みを歳をとることで老成されていく、いわゆる”時薬”という解決の仕方を、ヴァンパネラのメリーベルとエドガー、アランは許されなかった。
エドガーは他者を守るという名目で依存していたわけだけど、依存される側のメリーベルは、その依存されるという状況を演じきらなければならない。百年近い時の中で。その残酷さ、というのを見事に綺咲さんは演じきった。
単に、少女を演じればいいのではない。かといって大人でもない、救世主ですらなく、変化をしないで時だけが過ぎゆくという残酷さをイノセントに表現するのは、とても難しかったと思う。
それなのに、可憐な姿で演じきった綺咲さん。「未練があるわ!」というあの叫びの悲痛さ。感服。

ジャン・クリフォードの中村橋之助さんもよく健闘した。こんなスペシャルキャストの中で、ここまで演じきれるのは、勘が良いのだろう。歌舞伎だけじゃなくて、ストレートプレイもふくめて舞台も重ねてほしい。今回の演出でジャン・クリフォードを単なる色ボケ男、として描かないのはより物語に厚みが増したと思う。

健闘した、と言えば千葉雄大さん。ドラマでは特に好きな俳優だったけど、公演を重ねるごとに、声が育っていった。今回、アランは萩尾望都作品に通底するテーマを強く背負っていたわけだけど、きちんとクラシックな雰囲気にマッチするように演じきったのは素晴らしい。

そして、エドガーの明日海りおさん! 明日海さんの素晴らしさ、というのはどの記事にも書かれているけど、ほんとにほんとにエドガーだった! 何より、歌声の素晴らしさ。ヴァンパネラはこうでないと! 千葉雄大さんや他のキャストも、明日海りおさんに引っ張られて演じられる部分もあったのではないだろうか? ベルベットのような歌声は、一度聞くと脳内から離れない。また、昭和に発刊された『エディス』以前のエドガーの妖艶さと、『春の夢』以降のもっと現実的なエドガーの孤独について、明日海りおさんが媒体となってつないでいる気がした。人としての悲しみや孤独、ヴァンパネラとしての誇りや強さ、というのを生々しく体現。エドガー、ここに立つ、という感じだ。

そして、合唱などの舞台を支えたキャストさんたちも、よく千秋楽までがんばった。コロナで常とは違うフローも多かっただろうし、自分の世話を自分で引き受ける負担は、スター級のキャストとは違い、大きかったでしょうに。よく千秋楽までがんばったと思う。
ギムナジウムなど、学園シーンで出てくる男の子たちも、彼らのおかげでよりリアルに時代の移り変わりが表現出来ていたと思う。

そして、演奏を支えた、オーケストラピットの人たち。キーボードを利用しながらも、生の音の響かせ方が素晴らしかった。特にトランペットとバイオリンのソロの部分は、中々色気のある音が響いていた。

プロジェクションマッピングをセンスよく使いながら(たまーに、プロジェクションマッピングの画像デザインが悪い舞台もあるのだが)、回転する舞台を作り上げた松井るみさんの仕事も素晴らしかった。特に、一幕のラストでは、走馬灯のように歴史は軋み、回転を繰り返す中で、ポーの一族達は流れずにただ浮かぶ、というのが漫画的な演出で、モニター越しではなく、実際に目の前で観たかったなあ、と強く思った。

また、今回の成功の何よりの立役者は、小池修一郎さんでしょう。原作よりも、原作だった。というか、この『ミュージカル・ゴシック ポーの一族』には、萩尾望都的なテーマ(例えば、共同体のグロテスクさ、多様なのに不寛容な社会、愛という名を借りた依存、愛を騙る親たちのファシズム、性を超えた関係のカタルシス……)を、てんこ盛りにしながら、きちんと情緒のある作品としてまとめていた。
キャストに二役演じ分けさせる演出も、人の歴史がうごいていることと、輪廻、そしてその環に加われない、ヴァンパネラたちの孤独が伝わってきた。
ひと針ひと針、原作の言葉を縫うように紡いでいったのではないか? 萩尾望都的な呪いと祈りを込めながら。

どちらかと言うと、ミュージカルよりもオペラの方が好きな私が、今までみたミュージカルの中で、『ミュージカル・ゴシック ポーの一族』は群を抜いて面白かった。

儚く美しい夢をありがとうございました!


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by 日向雅 理予(&Riyo) Narratify Co., Ltd.

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